【花札の歴史と絵柄の意味に学ぶ】古き良き日本人はまず情緒を育んでいたの話


猪鹿蝶です。


赤短です。

五光です。

 

みなさまこんにちは。

突然ですが、花札ってやった事ありますか?

 

映画サマーウォーズを見られた方は一度はこいこい!!!と言ってみたい!

という思いがあるのではないでしょうか?笑

 

そんな私もサマーウォーズに影響をされた一人であり、

思い立ったが吉日!ということで、

さっそく花札を購入し”こいこい”をやってみました!

やり方もわからないのに赤と黒の2種類の花札を購入し

まずは道具を揃えるというミーハー路線から花札で遊び始め、

実際に”こいこい”をやってみたのですが…

 

おもしろい!!

非常におもしろいです!!!

 

おもしろいだけではなく、

トランプのように数字を使わずに、

同じ月の絵柄を合わせて役を作っていくというのが、

日本らしくてだな〜。

尊いな〜。と感じました。

 

でも、同時に気になることもたくさん。

 

  • 花札の歴史って?
  • デザインにはどんな意味が?
  • 昔はどんな風に遊ばれていたのだろう?

等々

気になる事がたくさんあったので色々と調べてみたのですが・・・

 

深い!

深すぎました花札クロニクル!!

 

歴史を紐解けば教育にも使われていた花札。

日本といえば礼節、美しい振る舞い、雅(みやび)などのイメージがありますが、まさにその世界観の礎となったのが花札を使った教育だったのです。

《鼓の音》 1940(昭和15)年 松伯美術館蔵

この記事では、花札の歴史や花札に隠された魅力についてお話しさせていただきます。

花札の歴史

花札の歴史は江戸時代にまで遡ります。

私達がプレイしている花札になるまでに、

賭博として扱われたり、

はたまた身分のある人たちの嗜(たしな)みとして使われたり、

はたまた町娘達のお花の勉強など

いろんな扱い方がされているという背景があります。

 

お話を進める前に一つ大事な前提として、

花札についての文献や歴史的考察は、明治時代に調査されたものが今の花札の基本の考え方となっているということ。

2020年の現代においても

花札に関する新しい書物や物が見つかっていないこともあり、その時代の定説が花札の歴史であるとされており、花札の歴史とは今や遡りきれない時代の産物の一つともなってしまっています。

そのため、時代背景が参考書によって諸説あるため、

それを踏まえた上で読み進めていただければと思います。

 

花札の始まり

まず花札の始まりは江戸時代中期(1716-89)と言われることが一番多いようです。

そして一番初めにできた花札は

“武蔵野”と呼ばれる木彫りのものだったそうです。

(引用:  日本かるた文化館 ©2018 Japan Playing Card Museum  武蔵野(滴翠美術館蔵、江戸中期))

これが武蔵野です。絵柄がとても繊細ですね。

 

そもそも花札の始まりはカルタです。

カルタは1500年代(なんと、安土桃山時代)に、ポルトガルより伝わっておりました。

当時のカルタは今で言うトランプのように数字の書いたもので、

主な使用目的は賭博だったそうです。

 

カルタにみる賭博史

花札の歴史を遡ると必ず賭博との関わりが出てきます。

まだカルタが花札となる前の1500年代の当時。

まだ政府の仕組みも整いきっていなかった時代の中

賭博場にて大きなお金が動き、裏の人達が力を持つことを懸念した政府は、1600年代に入り、賭博の取り締まり強化を行いました。

賭博したら死罪というルールまで設けていたそうです。

 

しかしそのまま厳しい取り締まりが続いたわけではなく、

規制と緩和が繰り返され1764-81年をピークにカルタが公的なものになりつつ動きを見せるも

また規制、と。

そのような規制緩和を繰り返す中で明治20年。

ついに賭博史が動きを見せます。

 

文明開化によって西洋のトランプが輸入され、それが大流行した事で、

西洋の「遊戯用での使用ならトランプ類も使用して良い」という文化にならい、

カルタや花札の規制は完全になくなりました。

むしろ、骨牌(こっぱい)税が導入されることになり

ちゃっかり国の貴重な財源になっていったとか・・・。

(骨牌税:カルタ、トランプを作るのに税金がかかる制度です)

 

賭博の歴史と花札

では、当時「カルタ」で行われていた賭博がどのような流れで「花札」を使うようになったのか?

について見ていきましょう。

 

当時、1600~1700年代の賭博規制が厳しい中、賭博師と政府役人との間には駆け引きがありました。

賭博師はいかに規制をすり抜けられるか、対する政府役人はいかにして取り締まるか。

その睨み合いの中、賭博師はあることを閃きます・・・。

コラッ!お主ら何をしている!?まさかその札は賭博ではないのか?死罪じゃぁぁ!

まぁまぁお役人さん、これ見てくださいよ、ホラ?どこにも数字なんて書いちゃいねぇ。これじゃ賭博しようにもできませんがな

ヌッ!!!!!!!! た、確かにそうだな

お役人さん、私らはちゃんとルールに従っていますけぇ、ご安心なすってくださいや。

 

とまぁ、こんなやりとりがあったのでは?と推測されるわけです。つまり、

「数字の書いたカルタでなければ賭博規制をかいくぐれるゾ!役人よ敗れたりィィ!」

こんな風に花札が賭博に使われていた歴史があったがために、

花札=賭け事

といったイメージが残っているわけなんです。

しかし!

あんなに美しくな絵柄・・・。

賭け事のためだけに作られたなんて考えられない!

子供達がお花の名前を覚えるのに使っていたりとか、そういう歴史だってあったはずよ。

 

そう、花札は元々賭博のために作られた物でないのも事実です。

ここからは花札が汚名を受けてしまった理由を見ていきましょう。

 

カルタと花札の違い

今のカルタの種類には「天正カルタ」「よみカルタ」「めくりカルタ」「花合わせカルタ」「花鳥合わせカルタ」や私たちの使っている「花札」

など、たくさんの種類があります。

 

その中で江戸時代中期に「花札」と呼ばれていたものは、もともと「花鳥合わせカルタ」と呼ばれているもので

上流階級の女性の間で流行した雅な遊びのひとつであり、

その後に生まれる「花合わせカルタ」などは女性や子供が花の名前を覚えるのに遊ばれていたのでした。

 

しかしここからが厄介。

子供達が名前を覚えるのに使っていた「花合わせカルタ」「花鳥合わせカルタ」は賭博に使われていた「花札」に絵柄や形が似ていたため

花札の歴史を研究していた人たちの中で「花合わせカルタは絵も賭博で使われていた花札と似ているからきっとこれが賭博に使われる花札の元になった物なのだろう」と主張する人がでてきました。

 

勉強や遊びで使っていた「花鳥合わせカルタ」も「花札」と言い

賭博に使っていた「花札」は「花鳥合わせカルタ」などとは違う物であったが同じく「花札」と呼んでいたために

花札にもいろんな種類があるということはそこまで重要視されず

花札=賭博用だという意見が多く残ってしまいました。

 

しかしそんな研究者の中にも

花札は雅なものである

という説を唱える人もおり、

実際に女、子供も使って遊んでいた。

という書物もあるのですが、その書物の少なさなどから、

「いやいやいや、そんな少ない情報では信憑性がありませんな、それよりも花札は賭博で使う説の書物の方が多いから、やはり賭博目的のために使われていたものなのですよ」

の花札=賭博派の説の方が圧倒的に多く

こちらの考えが主流となっているのです。

 

さぁしかし、このまま花札は賭博の道具でした。ちゃんちゃん。

では終われません!

次は花札ので美しいデザインについて見ていきます。

 

花札の絵柄について

花札の絵柄は花鳥風月を記したデザインで、

日本人にはとても馴染みのあるデザインとなっています。

このデザインは現代でも売られている花札の絵柄ですが、

江戸時代の花札の絵柄がこちらです。

↓↓↓

(出典元:日本かるた文化館

絵柄がとても繊細に描かれています。

 

実はこれ 短冊札と言われる札なのですが、

上の現代版花札の短冊札と下の江戸時代の短冊札との絵柄の違いがあるのをご存知ですか?

 

(出典元:日本かるた文化館

同じ短冊札ですが江戸の短冊札は黄色で囲まれている部分に紐が描かれており枝に結び付けられています。

「えっ・・そんな事?」

と思ってしまいがちですが、実はこの繊細な違いの中に花札の魅力が隠されているのです。

 

花札の絵柄の本当の魅力とは?

 

(花札:江橋 崇)

この本では上の短冊札の違いから花札の魅力についてこのように語っています。

実は花札、紐で枝に結び付けているデザインがなければ、

ただの自然界の樹木草花を鳥や動物と共に描いただけの、よくありがちな自然描写に留まっていたかもしれないのです。

この短冊札の配置により、ただの樹木を描いた札から、見事に人間の管理し愛玩する樹木へと変身するのです。と

 

ただ自然の美を書いただけではなく、そこに人の情緒があるからこそ花札のデザインは魅力的であると書いてあります。

さらに

 

広々とした庭園では上流階級の人々と優美な女性達の宴が開かれている。

それは、


若松に丹頂鶴が飛来する瑞兆を見る新年の宴でも、

幔幕を張り巡らした桜の花見の宴でも、

芒の穂を飾って仲秋の名月を観賞する月見の宴でも、

秋深く紅葉からの宴でも、

どんな宴でもよい。

 

そこではいつも美酒が振る舞われる。

重陽の節句の宴では金色の寿のついた赤漆の盃を満たす菊酒は一段と趣が深い。

誰かが、こうした宴の素晴らしさを詠う和歌を一首書いて、

短歌を赤い紐で枝に吊るす。

すると別の誰かが返し歌のように自分も一首詠んで短歌を添える。

こんな情景が想像されるのが短冊札の図柄なのです。

土佐光起「秋楓に短冊図」 シカゴ美術館

それを裏付けるように花札の絵柄は、

ただ自然の美しさを描いたものではなく、

手入れされた松など人と自然との関係が表現されたものであり、

すべての絵柄は大名屋敷の庭園に配置される観賞用の樹木でもあります。

このことから花札は造園・園芸の植物を題材とする、

美的に洗礼されたカルタなのであることが連想できます。

 

と、こんな美しく花札の魅力について表現されているのです。

花札の絵柄と季節の繋がり

花札の絵柄となった植物を見て、

夏には百合、秋には桔梗やなでしこもあるのに、なぜ5月は菖蒲、9月には菊が描かれたのか?

そう疑問に感じた方もいると思います。

それは花札で描かれる”花”は花草の”花”ではなく、樹木の”花”がテーマとされており、

それらの樹木は全て庭園を定番とする植物であったと言われております。

ここにも花札を作った人がただ自然を描きたかったわけではなく、人がいてこその自然である。

と言う思いが込められている背景が感じられます。

 

花札と日本の教育との繋がり

では最後に江戸時代に花札を使って日本人の感性を育てた教育があったことについて見ていきましょう。

いつの時代も人間は放っておけば立派に育つわけではなく、

様々な人に支えられ、いろいろな教育を受け大人へと成長していきます。

 

日本人は世界の中でも特に細かい気遣いや気配りが上手な民族だと言われますが

その民族気質に一役を担っていたのが実は

花札であり、折り紙だったのです。

 

人の機微を感じる細かい感性は

古代ギリシャの哲学者プラトンの言うとおり

【体育と音楽と文芸】を学ぶことで育まれます。

 

花札や折り紙のデザインは身の回りにある植物や花であり、描かれている色も身の回りにある花や生き物の色でもあります。

折り紙に至っては二次元に広がった紙を折り曲げて3Dの立体物を作り出すという高度な学びとなっていて、

何気なく遊びに使っていく中で色と色の繋がりを見出したり、花の形を覚えたりします。

何より花をデザインとして学びを与えようとしてくれた人たちの作った物に触れることで、目には見えないテレパシックな部分でも人の思いを感じたりする感性が育ちます。これがいわゆる「気」と言うものです。

花札や折り紙は子供たちの情緒を育てるのにこれ以上ない遊び道具でもあり学びを与えてくれる物であったわけです。

では、大人になった私たちにとっての花札や折り紙って何に当たるのだろう?

大人になったら情緒性は学べなくなってしまうのか?

そんなことはありません。

大人になった私たちは【体】について学び、【体】を育てることで情緒性を育てることができます。

 

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