失敗しない『リカレント教育』国立大学主席卒が薦める大人の学び直しとは?

どうも、こんにちは!
近年注目される「リカレント教育」。
ざっくり言うと【大人の学び直し】が注目され始めているようだ。
文科省も推進するこのムーブメントに乗りたいアナタへ。
国立大学を主席で卒業した編集長がわかりやすく解説!
大学も会社も味わいつくした実体験から、失敗しない、そして人生が変わる「リカレント教育」をご紹介します。
ちなみに本記事は、
と疑問や違和感を抱えてる人にも、おススメです。
では、どうぞ。
リカレント教育とは
早速ですが『リカレント教育』ってご存じですか?
と話題をふられたのだが、正直知りませんでした(笑)。
なので『リカレント教育』について調べてきました。
リカレント教育とは、
義務教育または基礎教育の修了後,生涯にわたって教育と他の諸活動(労働,余暇など)を交互に行なう教育システム
出典元:コトバンク/©(株)朝日新聞社
語源となったリカレント(recurrent)は、反復、循環、回帰を意味する言葉であり、日本では回帰教育や循環教育と訳されることもあります。
リカレント教育のメリット
ということがいわれている。
専門性、スキル、キャリア、自己成長がテーマになっているね。意識高い!
ちなみに文科省では、
我が国では、一般的に、「リカレント教育」を諸外国より広くとらえ、働きながら学ぶ場合、心の豊かさや生きがいのために学ぶ場合、学校以外の場で学ぶ場合もこれに含めている(この意味では成人の学習活動の全体に近い)。
出典:文部科学省ホームページ
としており、広い学びを期待しているようです。
「生涯学習」的なやつだね!
リカレント教育が注目される社会的背景
そして、なぜ注目され始めたかというと、
IT化、高齢化、テクノロジーの進化という時代背景のもと、「このままでいいのかな~」ってとこに働く世代が気づき始めたのがきっかけになっていそうだ。
「働いているだけではダメだ!」と。
でもなんで、これまで日本の社会人は働きはじめると学ばなくなってしまっていたんだろうね?
なぜ社会人になると学ばなくなるのか?
高度成長期の名残
一つ大きな原因は『高度経済成長期』を起点とした社会システムにあります。
高度経済成長期を経て社会的に長期雇用の慣行があり、社会に出て必要な技術や知識は、就職した企業内で「その企業ならでは」のやり方で習得していくのが通例となったからです。
私達は『社会』というものに『就職した企業』を通して触れるということが当たり前になったのです。
その企業文化の中で、その色眼鏡をかけて物事をみるわけですから、逆に視野を広げると辛くなる状態もあったかもしれません。
そのため、社会人になってから教育機関に戻ったり、自分で学習するというシステムは馴染みにくい状況となっています。
社会・時代に貢献する満足があった?
また高度成長期は自ら視野を広げなくても、自分の使命感を感じることができたというのも大きかったでしょう。
なぜなら、戦後モノがない時代、「ものづくり」それ自体が国を底上げしていることを実感できた。
つまり、自分の働きが時代を動かすことに直結する時代だったからです。
何もないのだから、やればやるだけ、社会に貢献していることを実感できる。
しかも、今みたいにネットもなかったですから、外の情報が入ってこない。
結果、よそ見する必要もなく、社内の仕事に集中できて、ある意味今より満足感があり「働きやすい環境」だったのかもしれません。
学ばずとも満足を得られやすい環境であったことが、社会に出ると学ばなくなる原因であったように思うのです。
一方、令和に入った今、モノはあふれるほどあります。
「ものづくり」が直接、個人の使命につながる拡張経済時代は終わっているんだ。
昔のように企業内で働いているだけで、自分の人生を全うしているという『使命感』を得ることはもはや不可能といっても言い過ぎではありません。
私達は学ばなくてはその使命感を見つけることができない時代に入っているのです。
そんな時代だから、「リカレント教育(大人の学び直し)」が注目されるのは、必然だったかもしれません。
しかし、大学の勉強をしなおすことで、私たちは人生を全うする使命感を得ることができるのでしょうか?
そもそも大学の勉強はどう役に立ったか?
大学の勉強で役に立った部分は想像している通り、専門性・スキル・知識の部分です。
それは社会に出ても、もちろん役立ちます。
役に立つのですが、それを活かす当の本人の人生の納得感に役立つかどうかは別です。
小中高大学とメチャクチャ勉強した人ほど、結構抱えてる不安が、「私、このまま進んで納得した人生送れるのかな~」の不安だと思うんです。
それこそ、ぬぐい切れない「このままでいいのかな~」の正体。
おそらく優等生ほど、この不安感は強いでしょう。
ある程度こなすことができるが故に、何でもできる気がするが、何にもできない気がする。
よくいえばオールラウンダー、悪く言えば特徴がない。
周りに合わせ続け、気づけば自分を見失った自分0.5番感。
もはや苦手なことが多い人の方が潔く進路を決めている気がする。
優等生はその中でもなんとなく得意な分野を高校・大学進路に選び、なんとなく就職先を決める。
「進路を選ぶ」の前に自分の深堀の仕方について習いたいが、びっくりするほど教わる機会がない。
「教師ってさ、進路決めろ!という割には決め方教えてくれんよな。順番おかしくね?」
と思った優等生は私だけではないはず・・・
ちなみに大学の「キャリアセンター」などで【自己分析】なるものを教えてもらえるけど・・・
最近出会ったばかりのカウンセラーにすべてをさらけ出すこともできず。
かといって自分の深層を自分自身でえぐり掘り返すこともできず。
ペルソナを被ったままの自己分析とやらは表面をなぞるだけで、大体うまくいかない。
こうして、自分を知る・周りを知る・社会を知るのすべてが中途半端のまま、「たぶん向いている気がする・・・」のフワッとした空気感でこれからの人生を決める。
結果、その後もふとした時に「このままでいいのかな~」の不安に襲われる人生を歩むことになってしまうのです。
秀才という罠=亜空間知能
そして秀才は、その不安をかき消すかのように、人生を目標で埋め尽くします。
年収1000万
結婚
マイホーム
役職
資産1億
etc…
必死に頑張ります。(不安を脇に置いて)
だけどみんな薄々感じてるんじゃないかな?
ズバリ、どれも手に入れて3日で飽きる。
目標達成後に一番感じるのは「どれも本当に欲しいものじゃなかった・・・」っていう空虚感。
それどころか、スキルやハウツーばっか勉強したもんだから、ある日突然、頑張った割には人間力がついてないことに焦り始める。
あぁ怖い。
資産もある、地位もある、だけど中身(人間力)のないことがバレるのが怖い。
本質的な意味で下の世代に慕われることのない、オシャレおじさん。
アナタはなりたくない大人になっていませんか?なろうとしていませんか?
社会人が大学に戻って効果はあるのか?
研究したい人には効果があると思うんです。
だけど、自分の人生を見直すだとか、選択肢を広げるだとか、何かを探しに行くスタンスの人は、大学に戻るのはやめた方がいいと思う。
そのリカレントは、彷徨いモラトリアムの再来になりかねません。
あなたにFitした何かを探しに行くには大学はコスパが悪いし、本質的な悩みに向き合える可能性はとても低い。
なぜなら、大学がそういうタイプの人間が集まる場所ではないから。
学生はあなたより人生経験はないし、教授も「教える」という字がついているものの、研究好きのおじさんという感じで、人間対人間の付き合いに強い人は少ない。
思えば、大学時代迷いなく進路を決めた人は、大学の講義にいそしんだ人よりも、多くの課外活動で経験を積んだ人の方が多かった気もする。
彼らが何を学んだかと言えば、多くの大人のケーススタディと自身のFit感とのすり合わせを、体当たりで数多く経験したことにあると思うんですよね。
だからリカレントするなら、
- それぞれの人生をもち寄り合える場所を探す
- 人生経験豊富な人間力のある師匠を探す
がオススメです。
今はオンラインの時代。
年間数十万払う大学より、月額1万円でオンラインサロンなんかでコスパよく第一人者から、その経験を学べる時代ですからね。
カッコいい大人は間違いなく学び続けている
リカレントに興味をもっているあなたは学ぶ意思がある。
それはカッコイイ大人になる入り口だ。
カッコイイ大人は間違いなく学び続けている。
だから誇っていいと思う。
だけど学ぶ方向性だけは間違わないでほしい。
空虚な目標で自らを固め忙しさの中で何か大事なものを忘れていく・・・
そんな努力はする必要はないんだ。
そのみみっちい生き方をもうやめてもいい。
本当は『つまらない!』って思ってるんでしょ(笑)
不安や押し付けられた古臭い昭和・平成の幸せ像に囚われる必要はない。
そんなものが生んだ忙しさの中で、僕らが忘れてしまったものがありますよね。
それを想い出すコツを教えましょう。
それは『カラダ』です。
ぼくらはこのことを教わりました。
拍子抜けするかもしれませんが、灯台下暗し。
キミが一番欲しかったモノはそのカラダにあるのです。
それは『懐かしさ』=『ぬくもり』です。
あのポカっと温かい懐かしい体感が、今もこのカラダの中で生きている。
ぬくもりはキミのカラダの中で生き続けている。
ぼくらの周りにあらゆるモノが誰かのカラダから生み出されている。
道具、コンテンツ、商品、アート、経済、社会。
冷たく固いカラダからは、冷たく固い社会がうまれます。
アスファルトを敷き詰め、コンクリートジャングルに囲まれ、ぼくらは足を固めました。
足から段々と固まったカラダは弾力を失い、頭ばかりを使うようになりました。
本来の機能は封印され、僕らは脳=言葉中心の世界に暮らすこととなった。
すると、言葉、保証、資格、役職、名誉がなければ不安・恐怖を覚えてしまう。
それが僕らの違和感。頭重心。
いつしか僕らはそのカラダとぬくもりを忘れてしまった・・・
その封印をカラダで解き放つ!
まず学び直すべきはカラダだったんです!
温かく柔軟なカラダからは、温かく自由な社会が生まれる。
カラダありき、ぬくもりにあふれ、肉感ある肚中心、言葉以前のものを共有する世界。
それを下腹重心と呼ぶ。
カラダを育て動き(舞い)を装備すれば、キミの封印が解けるんだ。
もう一度言いますが、冷たく足を固め、頭を妄信した人間たちが生み出したのが現代社会。
カラダの封印を解いた人間たちが生み出した社会は・・・
まだ見ぬ近未来『アナザフロンティア』。
これからの時代、未来は自分たちで切り拓いていけるんだ。
ただし、やらなくてはいけないことがある。
それは・・・
学び合い、感じ合い、教え合い、働き合うこと。
そして、カラダを育てること。
人を学び、カラダを学ぶ。
その中にあなたの過去、今、未来がつつみ重なり、想い出したかった何かが見つかる。
ぼくらは想い出しはじめた。
自らの正体、自らの使命を。
キミも一緒に想い出さないかい?
あるんですよ。それができる大人の学び舎が。
そして、いるんですよ。それを教えてくれる圧倒的なカラダをもつ師匠が。
その美しさに学び
時に励まされ
時に叱られ
気づき続けながら
共に学びたい方はこの先のバナーをクリック。
思う存分「人間力」を学びましょう!
令和の学び舎、オンライン寺子屋で、仲間がそして師匠がキミを待っています。