【師弟関係】あらゆる少年漫画の主人公に師匠がいる理由

尊敬できる人、
いますか・・・??
君は、本当に肚の底から尊敬できる人がいますか?
よくある回答
「尊敬する人は、おかあさんとおとうさんです。」
これ、冷静に考えてヤバいでしょ・・・!?
そんなことを言うのは実は、僕ら思考停止の平成現代っ子しかいないんじゃないか!?
っていう問題を、
師弟関係という切り口で、多角的に見ていこうと思う。
あらゆる少年マンガの主人公に師匠がいる事実・・・
フィクションでしょwって思いながらも、
本当は、尊敬できる”師匠”、ほしいんじゃないですか・・・?
今回の全体像。
【この記事で学べること】
- 僕らが学校教育で失ったもの、封印されたものの正体
- 江戸・明治の寺子屋で行われていた”使命解放教育”とは?
- ダサい大人にならないための基礎教養
- 子どもに本当に大事なことを身に付けさせる子育ての方法
- 自宅でできる”本当の自分”の見つけ方(もう学校は必要ない!?)
【この記事を読むと得する人】
- ”本当の自分”を知りたい人
- 日本の古き良き”和”の文化が好きな人
- カタブツ教師や、うすっぺらいお友達先生はもう飽きたって人
- ”答え”を知りたい人
- 師匠が欲しい人
目次
”人生で大事なこと”は師弟関係から教わった。
前回の記事では、現代の学校教育と、江戸・明治の寺子屋教育の違いについて見てきたね。
それを一言で表すとしたら、
知識しか教えない学校
と
生き方を教える寺子屋
教科書に「人としてどうやって生きればいいのか?」なんて書いてないよね。
別の言い方をすれば、
”形式知”しか教えない学校 と ”暗黙知”を教える寺子屋
って言い方ができると思うんだけど、
”形式知”はAI(人工知能)がぜんぶやればいいよねっていうのが現実になってきている今、
人生で大事なこと=”暗黙知’は、じゃあ誰から教わればいいの??
って、困ってるのは、今や子どもたちだけじゃない。
もちろん世界中のあらゆる形式知を、まとめて、整理して、誰でも使いやすいようにしてくれている、あのGoogle先生に
「コロナウイルスに人類はどう対処すればいいんですか??」
って聞いても、まあ期待した答えは出ないよね。だって、形式知だもんw
当たり前だけどGoogle先生は過去のものをまとめてくれるだけだから、”未来”は指し示してくれないんだよね。
半世紀に渡って、人生で大事な10代を”形式知”漬けにされてきた”コロナ世代”である僕らは、
暗黙知でしか太刀打ちできない事態になって、ようやく現実を見るときがきたみたいだ。
教科書から人が生まれるわけじゃないし、スマホに育てられるわけじゃない。
”ヒト”がオオカミに育てられたところで、”人間”になるわけじゃない。
じゃあ人間としての尊厳や、その奥にある尊い物語、体温=ぬくもりのある生き様は、誰から教わるの??
って、同じカラダ(体温)を持っている”人”から教わるしかない。
それらを教えてくれる関係性=形式知に封印された”本当の自分”を解放してくれる関係性が、
寺子屋における”師弟関係”っていうことだったね。
形式知が必要じゃないってことを言いたいわけじゃないっところは注意してね。
スマホは便利だし、科学技術やテクノロジーは”形式知”のかたまりだけど、
その形式知(what?やHow?)をどう扱うかは、人間の暗黙知(Why?)次第ってこと。
ボクら日本人だけが知っていた、師弟における”礼節”のドデカイ贈り物
ポイントは、教わるってこと。
江戸・明治時代には、この”教える”、”教わる”っていうことが”尊い”ものだっていう意識が文化として根付いていたみたいだ。
- 藩のNo.2なのに、自分より器量が大きいと感じたら断られても3日間頭を下げ続けてようやく弟子にしてもらえた熊沢蕃山
- 天皇の教育係なのに、禅寺の和尚に師事して、蹴りを入れられても何度もひれ伏し、教わりに行った山岡鉄舟
など、現代では信じられないほど、”教わる”ことを大事にしていたんだ。
成績が上がるほど、叱られなくなる学校教育とはちがって、積極的に叱られ、教わりにいくほど、心身が磨かれる関係性。
そこには、師匠への尊敬と信頼があったってことは、連想できるよね。
で、前回も書いたんだけど、
寺子屋で何を教わるか?
現代っ子が学校教育で教われなかったものは?
礼節
だったね。
日本人の美的感性は、礼節にあった。
で、礼節っていうのは、一言でいうと、
人を想う力、人の背景を汲む力
なんだ。
たとえば、人の背景を汲めない人、
自分の痛みや苦しみにばかり敏感で、人の痛みや悲しみには鈍感な人が、人の上に立つと、どうなるか・・・?
ぜったい文明は崩壊するよねw
国、滅びるよね、そりゃw
西洋や中華では、そういうバカ王様が歴史上いっぱいいて、民を苦しめてきた歴史があったんだ。
(もちろん日本にもバカ殿はいっぱいいたんだけど)
で、民の怒りが火山のように爆発して、革命が起きて・・・
それを見た頭のいい人たち(啓蒙主義者)が、これは科学的ではないって気づいて、
人類は、人を上に立たせることをやめて、法律=テクノロジー(構造)を上に立たせたわけ。
簡単にいうと、それが僕らが恩恵を受ける現代資本主義文明。
個人の自由が、法(構造)において保証されるっていう文明だね。
その末路が、旧火星文明再生計画=”人のいない世界”
わかりやすくいえば、「攻殻機動隊」の世界観だ。
でも、その限界が今回のコロナショックでもろに見えたよね。
いや、いくら法とか規制っていっても、カラダ持ってるし、外出たくなるよwってね。
そんな礼節なき個人主義文明の対局にあった、
江戸・明治の文化では、そんな庶民たちのカラダの”元気”が最優先されてきた。
それは、個人主義じゃない、場=関係性が最も大切だっていううある種の”関係性主義”なんだ。
で、関係性をいちばんうまく巡らせてくれる人。
その人が”いるだけ”で、カラダが元気になって、皆が安心して暮らしを営めるような人体を持つ人。
その人が放っている”暗黙知”を、教わりにいくっていうのが、師弟関係だ。
君が本当に、
多角的に物事を見て、判断できて、いちばん人を想う、
人の奥行きや背景や感情を感じられる師匠に出会いたい・・・!
って、想うなら、まだ日本に希望はある。
自己啓発とか自己実現とかで盛り上がってた平成の時代があったけど、
逆に言うと、本当に自己を啓発できるのは、自分より広く深いものの見方をしている人に、教わって、委ねない限りは、
本当の自己啓発すらもできてないってことに気づこう。
最先端物理学にまで通ずる、ドキドキ❤の師弟関係の美しさ徹底解説❗❗
昔は日本人のこと、”倭人”って言ったんだけど、人に委ねるって書いて、”倭人”だったんだね。
”個人”の自由に重きを置く個人主義の歴史を持つ西洋とはちがって、
”場”や”間”に重きを置いた倭人の感性は、その場を一番うまくまとめられる御上や師匠に委ねることで、
文明が一番うまくいくってことを体感で知っていたんだね。
当たり前だけど、
礼節汲まないで、自分のことだけ考えて、
御上がうまくいったらついていきますし、こけたらさよならしますんで、
おいしいところだけちゅーちゅー吸わせてくださいね(^o^)
ってヤツいたら、うまくいくもんもうまくいかないよねw
だ か ら
礼節
っていうのを、徹底的に教え込まれたわけ。
師匠に教わりに行くときも、御上に仕えるときも、
部屋に入って、お辞儀をした瞬間、もうあらゆる振る舞いが見られているわけだ。
で、できてたら、よしっていってお互いもう感じ合って、
真剣な顔の建前の裏では、ニヤって笑ってたとしたら?
”本音”はもう「あ・うん」で気で感じ合ってたとしたら?
ヤバイよね。
もういちばん日本人が憧れる関係性じゃないですか、と。
本音と建前っていうのは、
今やただやっとけばいいんでしょっていう形式的な礼と、でもまあ私にも本音ありますからそこんとこよろしくっていう、
どこか偽善的だったり、個人主義の言い訳に使われがちなところがあるけど、
本当は、こういう遊び、自由に満ちた世界を日本人は見ていたのかもしれない。
でも、それは個人主義じゃぜったいに知り得ない広い世界だったわけで、
礼節の先の本当の”無礼講”があったわけだ。
で、最先端の量子力学でもう証明されちゃってる”観測者効果”・”場の理論”ていうのがあって、
日本人が”気”を読む、”間”を合わせるのが一番うまかったってことと、
江戸の時代に、西洋人が面食らうほど日本人の暮らしが輝いていたっていうのと、
師弟関係にこそ、文明がうまくいく秘密が隠されているってことが、ぜんぶひとつながりにつながってくる。
それを、”雅”といったり、”粋”といったり、”幽玄”っていったり・・・
その時代に合わせて、いろんな言葉で表されていたけど、根底にある本質はいっしょで、そこには”礼節”があったんだ。
これを禅の言葉では、”縛解一如”と言った。
師弟の関係、心身の型、社会的な立場、それらに”縛られる”ことによって、
何にも縛られないただ解放系の”個人主義”の自由よりも、逆にもっと広い世界を見ることができた。
そういう美しさっていうのを、日本人は知っているんだ、本当は。
で、それが僕ら人間にカラダがあるってこととつながってる。
なんで、カラダがあるんですか?
僕らが3Dの世界に縛られている理由を説明できる。
コロナで家に閉じこもっても、カラダがあるから、結局動かしたくなる、っていう現実をどこまでも無視できない・・・
その答えは、カラダに目を向けることで、見えてくるんだ。
師弟関係は法則だ!
- 誰から教わるか?→師匠
- 何を教わるか?→礼節
じゃあ礼節ってどうしたら身に付くの?って疑問に思う人もいるかもしれない。
その答えが、カラダの”姿勢”であり、『型』だ。
たとえば、弟子入りしたいですって入ってきた人が、
師匠の目の前で、チュッパチャップス舐めながら、ふんぞり返って、
「ちょっと教えてほしいんだけど」
ってほざいたら、
「ナメとんのか、帰れバカモノ」
って言われて終わりだよねw
これ、教わる態度、姿勢、振る舞いが問題ってこと。
昔の日本人は、心とカラダが分かれていない、心身一如なんだっていうのが体感で染み付いてたから、
言葉を発さなくとも、カラダとその人の”姿勢”を見るだけで、一発でその人がどんな生き方をしてきたか分かったんだ。
で、さっきのチュッパチャップス野郎の何が問題なのか?
それは、自分のことを自分が一番知っているというカンチガイにある。
アナキンスカイウォーカーがダークサイドに落ちる原因は、
ヨーダ(師)の教えを聞かなかった=師匠への”委ね”がなかったのと同じ。
(出典:『Star Wars: Episode III Revenge of the Sith』©Lucasfilm Ltd. LLC)
師匠になぜ教わるのかっていうと、
→師匠は自分のことを、自分以上に見ているし、知っているから。
それは、どういうことか?
→”法則”を知っているということ。
フォース(法則)と共にあれ
byマスターヨーダ
自分が見えていないパターン=法則を、10パターン100パターンも知っているのが、師匠。
君の世界、狭いよ?
君のものの見方、一方向だよ?
君の思っている”自由”、”自由”じゃないよ?
君、無知だよ?
ちがうよ?そこじゃないよ?
って、無知の知を教えてくれるのが師匠。
で、倭人の師匠はこう言う。
カラダ=型ができてないからだよ!!
姿勢が整っていないって、それ法則に反してるから!!!!
というのが師匠のお叱りだったわけだね。
改めて、師匠が必要な理由は、
法則=型を体現している人から教わることで、いちばんうまく文明が回るから。
僕らが感動し、憧れるマンガ、映画、物語には、師弟関係っていうのが、法則として描かれている。
スターウォーズのジェダイしかり
ドラゴンボール ナルト ハンターハンター ワンピース スラムダンク キングダム 鬼滅の刃 範馬刃牙・・・
(出典:『DRAGON BALL』 コミックス3巻 ©鳥山明 集英社)
ヨーダがいなきゃ、ルークはどうなっちゃう?
亀仙人に出会わなかったら悟空は?
イルカ先生やカカシ先生、エロ仙人がいなかったらナルトは?
刃牙にゴキブリ師匠がいなかったら??ww
(出典:『範馬刃牙』26巻 ©板垣恵介 秋田書店)
暗殺教室だって、ヒカルの碁だって、ハガレンだって・・・
誰かから”教わる”ことで主人公たちが成長していく物語に、僕らは胸を打ってきたよね。
ていうか、誰かから教わらなきゃ、ぜったい何も起こらなかったよね。
大事なのは「誰から教わるか」で、
親が法則を知っている・・・わけがないw
親から教わった英雄や偉人や、漫画の主人公は、誰もいないわけで、
ここんところを冷静に理解することで、君が選択する道がみえてくるはずだ。
てか、師匠、ほしくない??
(出典:アニメ『鬼滅の刃』©吾峠呼世晴 ufotable)
本当にかっこいい大人がいなくなった現代。
自分のいい部分と悪い部分を多角的に承認し、
本当に、本気で、本音で、真正面から叱ったり、褒めてもらえる経験は、もはやできなくなってしまったのだろうか・・・?
本当にしたかったことができなくて悔しい、でもウジウジ悩んで、結局何も行動しない・・・
で、”本当の自分”をごまかして、親や学校が言うもっともらしい”答え”を、いつのまにか、本音だと勘違いして、年を食う・・・。
いつのまにか、ダサいと思って批判していた大人に、自分がなっている・・・
せま~いくら~いところに”自分”を閉じ込めて、「しかたないから・・・」って言い訳ばかりして、腐っていく・・・
「わたしのしあわせが・・・」「わたしの価値観が・・・」と”わたし”のことばかり気にする
そんな、クソダサい自分を・・・
「”生きる”ってそんなもんか!!」
「せまい!ダサい!情けない!!恥ずかしい!!悔しくないのか!?」
「”わたし”、”わたし”って言ってんじゃねえよ!わかってるようでわかってねえよ!!」
「ごまかしてんじゃねえよ!生きづらいって言えよ!!」
「本気で生きてくれよ!!」
と、圧倒的な覇気で、君を叱ってくれる・・・
君の違和感の答えを教えてくれる・・・
君に、本当の悲しみや喜びや、学び続ける大切さをカラダに叩き込んでくれる・・・
学校の同調圧力に封印された”本当の君”を解き放ってくれる・・・
そんな師匠、
ほしくないですか?
(出典:アニメ『鬼滅の刃』©吾峠呼世晴 ufotable)
激動の幕末・明治期の学び舎には、そんなめちゃくちゃかっこいい師匠と、
そこから必死で学ぼうとする弟子との、美しい師弟関係があった。
そして、平和ボケし、人から真剣に教わることをナメ腐っている現代っ子な僕らは、
「そんな精神論、役に立つの・・・?」
「体育会系のノリ、きついわー」
なんていう無知蒙昧(むちもうまい)、愚昧卑劣(ぐまいひれつ)な戯言(たわごと)を、しゃあしゃあと吐きがちだけど、
実は、その師弟関係における厳しい”修養”こそ、
明治の時代に、馬から軍艦に乗り換え、
世界地図の端っこのちっぽけな島国だった日本を、
たった20年で、世界と渡り合える国に叩き上げた、
鬼のような学びと胆力の徒を作り上げた事実を持つ、
生きがいやりがいをダブルパンチでもらえる、超エモい学習環境だったんだ。
”師弟”関係とは、いつの世にも役に立つ”叡智”を
言葉だけではなく圧倒的な体感=ぬくもりを通して学ぶ究極の”プラットフォーム”だ。
書物(教科書)からではなく師匠の”生き様”から体感を通して学ぶ、
あの美しい師弟関係の文化がなければ、”日本という国”は、今頃存在しなかったかもしれない。
それほど、師匠と弟子という関係性は、多くの恩恵をもたらす。
ある種、学習環境としては、最高レベルの効用があるんだ。
封印された”本当の自分”=使命を解き放つ、
という・・・最高の効用が。
”本当の君”の封印が解かれるとき・・・
君が、つまらないライフスタイルに封印された”全身の毛穴が開くようなキラキラした記憶”を思い出すためには・・・
周囲が醸し出す、『現実ってこんなもんっしょ!!』のヘドが出る空気から、キミのカラダのキラキラした翼を奪わせないためには・・・
つまらない予定調和の牢獄から羽を伸ばし、どろんこ遊びのように、人生を心底楽しんで生き抜けるとしたら??
それこそキミが一番、キミらしく在れるお守り=『型』を体得する道であり!!
キミが、その『型』を心底楽しんで体現した師匠を、見つけること!なんだ。
見つけるための基準は、君にもかすかに残る『みずみずしさ』=体感にもとづくものでなければならない。
そこにはその心技体に対する尊敬がなければならない。
そう、キミの心技体の可能性はまだ奪われていない。
重心を落とし、人生のコマを再び回転させる『型』さえ身につければ、君の封印は解かれる。
それは、違和感を感じている今!がそのタイミングだ。
このタイミングを逃せば、また、皆んなと同じように流され、大人のどろんこ遊びを奪われ続けて、
もしかしたら、一生本当に大事なことは何か、思い出せなくなるかもしれない危機。
ぬくもり(肉体のみずみずしさ)を奪われているリアルに、どうか気づいてほしい。
そのカラダには翼があったことを思い出してほしい。
学校の空気感に違和感を感じるのは、それを忘れているからだろう?
本当に尊敬できる目上に出会いたかったんじゃないのか?
尊敬させてもらえる目上(侍)に出会えないから、流されるしかないと諦めてるんじゃないのか?
シャムライ(侍)とは、ぬくもり(義)を護り抜く者。
それが、大和魂だ。
それは君のカラダを亜空間知能(人生ってこんなもっしょ)に奪わせないことでもある。
このまま時代が進み、より人体が軽視され、ぬくもり(体温)のある心技体を機械に置き換え、劣化させる事にも違和感を感じなくなる。
そんな”攻殻機動隊”のような近未来がやってきても、
マイクロチップをカラダに入れる同調圧力を突っぱね返せる心技体=”型”を養えば、
あの懐かしい・・・忘れられないぬくもりの記憶は、失われない。
そう、カラダはまだ奪われてない!
でも、この硬いコンクリートの文明では、
君の足から歪み、封印されていっている。
そのことに気づこう。
カラダを守り抜くために、”型”を体得しよう。
カラダを育てよう。
カラダを支える足を育て、人生の基盤を整えよう。
そして、その大事さを背骨の髄まで叩き込んでくれる師匠を見つけよう。
そのとき、君の使命は起動するだろう・・・
答えはすべてある。キミノまごころで探す師弟関係も、、、
世界中で、”意味がある”と思い込まされ続けてきた、さまざまな恒例行事は、このコロナショックを機に、
「”ボクたち”がやることではなかった・・・」
と思い知らされ、じょじょにマシンに置き換えられていくだろう。
この浴びるだけで疲れるような重~い空気の中で、この危機の先に希望を指し示せる勇敢な大人は、
本当の所どれだけいるのだろうか?
今、何を学ぶべきか?
なぜ、学ぶべきか?
そして、誰から学ぶべきか?
を君は、まだ選べる。
しかし、近い将来、学校では「ペッパーくんが先生」が当たり前になったとき、
君は、本当に大事な使命を、果たして思い出せるだろうか?
人体がマシンに置き換えられる”攻殻機動隊”の近未来が現実になっても、
使命OSのキラキラした輝き=ぬくもりの記憶を護れるだろうか?
もし、君がその灰色の未来に危機感を感じ、どうにかしたい!と感じているなら・・・
君が求めている、令和の寺子屋はここにある。
君が求めている、かっこいい大人は、ここにいる。
先人たちが遺してくれた”叡智(歴史法則)”を、
先行きのわからないこの時代に、本当にキミの肉体にズキュンするスタイルで、まとめあげた、
僕らの慕う、伝説の師匠は、ここにいる。
そして、すでに多くの学友が、
共に使命をクソガキのようにどろんこ遊びし、侍のように腹の底で貫くために、師匠のもとで学んでいる。
カラダで叱られたい!
体感で叩き込まれたい!
”本当の自分”を封印から解き放ち、
”使命”という翼を思い出し、広い宇宙を自由に生きたい!
そう感じるなら、どうか下のバナーから勇気をもって飛び込んでくれ。
必ず、君が求めていた答えは見つかるだろう。