与那国島の海底遺跡・巨人伝説から解く!アトランティス文明の暗号
海底遺跡はロマンだッッッ!
この前、沖縄にいってきたんだけど、
沖縄って海底遺跡があるんだよね。それも、いくつも。
遺跡だけでもココロオドルのに、海底に沈んでいるのだから・・・
世界の秘密が隠れている香りがぷんぷんする!
そして海底に沈んだといえば、一緒に思い浮かべるのが、
古代文明アトランティス
ですよ。こりゃまた謎が多く気になっちゃうやつ。
いてもたってもいられないから、いろいろと解析してみたよ♪
目次
オカルト?いやいや学問にもなっているアトランティスの歴史
アトランティスの起源
アトランティスが登場した最古の書物は、
意外にもあの古代ギリシア、西洋哲学の有名人「プラトン」の対話篇『ティマイオス』および『クリティアス』だ。
(↑この手に持ってるやつ)
ジブラルタル海峡のすぐ外側、大西洋に巨大なアトランティス島があった。資源の宝庫で、そこにある帝国は豊かであり、強い軍事力を持ち、大西洋を中心に地中海西部を含んだ広大な領土を支配していた。王家はポセイドンの末裔であったが、人間と混じるにつれ堕落し、物質主義に走って領土の拡大を目指し、帝国は荒廃した。アテナイは近隣諸国と連合し侵略者であるアトランティス帝国と戦い、辛くも勝利したが、その直後アトランティス島は海中に沈み、滅亡したとされている。
(引用元:アトランティス ©フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』2020年9月23日 (水) 15:44日本時間現在での最新版を取得)
プラトンはこの話を曽祖父から伝え聞いて本にしたとされている。
一説にはプラトンが「強大な国々の傲慢さを揶揄した寓話」といわれているが、その真意は定かではない。
真実は事実という点を多角的に結びつけて炙り出すしかないのだが、
それはこれから明らかになっていく!かもしれない・・・
アトランティスが利用されはじめる
「偉いおじさんが話してた物語」くらいに捉えられたアトランティス。
その後、大きく注目されることもなかったのだが・・・
16-17世紀の西洋世界で突如アトランティスが様々な学説の論拠として利用され始める。
それは、南北アメリカ大陸というキリスト教の世界観に収まらない新天地の発見がきっかけとなる。
当時の支配者層は、その先住民の起源と大陸が生まれた経緯を説明する必要にせまられたのだ。
さまざまな理論が考案される中、
なんと、アトランティスもその一説として白羽の矢がたったのだった。
16世紀の学者にはアトランティス大陸の存在を疑う人もいたが、
当時の偉い人々の多くは信じており、
彼らが世間から怪しく思われることもなかった。
そんな中イギリスの哲学者フランシス・ベーコンは、小説『ニュー・アトランティス』(1601年、未完)でアメリカをアトランティスの残骸とする説を寓話として紹介し、広く普及させた。
プラトンのアトランティスが事実かどうかはさておいて、ベーコンの寓話は当時の地理的知識に基づいても明らかな作り話だったらしいけどね・・・
しかしながら、民衆の間では本当のことと捉える人も多く、架空の物語が疑似歴史の分野で史実と捉えられるようになっていったという。
そんなわけで、アメリカ大陸=アトランティス大陸説は、200年以上一考の価値がある理に適った説として受け継がれた。
その後1882年、アメリカの政治家イグネイシャス・ロヨーラ・ドネリーが著書『アトランティス―大洪水前の世界』を発表し、「謎の大陸伝説」として一大ブームとなった。
今日から見るとドネリーの学説には多くの欠陥があるんだけど、当時においてはそれなりの説得力があり、彼によって近代のアトランティス学・アトランティス神話の基盤がつくられていったという。
オカルトとの融合
ドネリーの活躍で、民衆文化におけるアトランティス熱に火がつき、遂にはオカルトと結びつくこととなる。
これがアトランティス=オカルトの印象を強めた原因!ともいえるのだけど、
そこに目を付けた人物こそ、神智学協会を作ったヘレナ・P・ブラヴァツキーだった!
これ以降、アトランティス大陸などの失われた大陸を人類の霊的進化・宇宙創生論に関するオカルティズムの中心テーマとして語り、同時にアトランティスの住民は高度な科学文明を持っていたと語られる。
真実、作り話、玉石混交の言葉攻めが、多くの民衆を虜にしていった。
アトランティスと白人至上主義の融合
アトランティスは、神智学徒を始めとするオカルティストたちの世界観の根幹をなすものとなり、神智学協会を超えて、ルドルフ・シュタイナーの人智学、さらにシュタイナーの弟子を通じて薔薇十字思想などに受け継がれ、模倣され、広まっていった。
こうしたアトランティス等の失われた大陸が世界の諸文明・全人類の源であるという考えは、その地の支配層は白人種であり、そう主張する人々の先祖であったとされ、白人優位主義(≒エスノセントリズム)を正当化し、「かつては全世界が自分たちのものであった」ということを「立証」して植民地支配を正当化する論拠として利用されはじめる。
それはあのナチスとも結びついた。
アトランティスはアーリアン学説とも結びついており、オカルト思想や疑似歴史・疑似科学の教義を説く集団と密接に関係していたナチスは、その壮大な疑似歴史体系の重要な一要素として、アトランティスをアーリア民族の故郷であると主張したんだ。
この説を立証しようと資金と頭脳を投入した歴史も残っている。
意外と暗かったアトランティスの歴史
暗い・・・(笑)
そして黒い。
意外にもアトランティスの歴史はこんな感じで、とある時期から統治者に利用されまくり。
クソぉぉぉ、手垢にまみれて、ロマンもクソもないよ!
書物が残ってないから・・・
という理由で、言ったもん勝ちだったわけだ。
そんなんじゃあまりにも残念だ。
今度は文じゃなく、ブツにもとづいて語っていこうじゃないか!
(引用元:ダイビングサービスMARLIN 「海底遺跡地図」©2011 -Diving Sirvice MARLIN)
そう僕らには海底遺跡が残っているッッッ!
与那国島の海底遺跡
(引用元:水中写真・動画撮影 空 良太郎 沖縄の珊瑚礁と魚達 ©空 良太郎)
実は、この「与那国海底地形」が遺跡かどうかは、まだはっきりとした結論が出ていない。
古代文明の一部だと言う人や、自然にできた地形だと主張する人、今なお議論は続いているのだ。
古代遺跡派
琉球大学の木村政昭教授は、この与那国島海底巨石遺構は、中・南米にみられる階段ピラミッドに似た遺跡であり、人口的建造物であると判断を下し、1998年、沖縄県の文化局に「遺跡発見届け」を提出する運びとなりました。
出典元:「与那国島海底遺跡・潜水調査記録」木村 政昭 (著), 琉球大学海底調査団
沖縄本島中部の北谷沖の海底遺跡については、シーバット(マルチナロービームによる音波探査)により得られた海底の精確な三次元地形より、人工的な形態が明らかになった(図2-1)。それによると、沖縄本島陸上の中城グスク(城)(図2-2)に似た城郭的なものであることが明らかとなった。
(引用元:「海底遺跡にかかわる学術調査」 木村 政昭 特定非営利活動法人 海底遺跡研究会)
ピラミッドのような巨大な外観で、石の形が壁やテラス、通路のように見え、宗教的な儀式に用いられたかのようなレリーフが散見されます。十字状に刻印のある石版が発見され、鑑定の結果、海底で貝などによって付けられた跡ではなく、意図的な刻印との結論でした。発見された石器も、人工物であると鑑定されました。
(引用元:1999年11月10日 沖縄タイムス)
かつて陸上にあった証拠として、「陸上にしかできない鍾乳洞が遺跡ポイントの近くにあること」。
沖縄県与那国沖の遺跡様海底地形形成年代の再検討結果は、それが形成された時期はおよそ3000 −2000 年前頃で,陸上で形成されたと推定される。
(引用元:沖縄県北谷沖の海底構造物の年代測定と与那国海底遺跡年代の再検討 名古屋大学年代測定総合研究センター 2006年)
自然地形派
あれは「節理」と言って、自然にも結構あるものです。岩石は直線方向に”ひび”が入っていて、それに沿って割れる性質を持っており、実際の石切り場でもそれを応用して石を方形のブロックで切り出しています。そして、ひびの部分が脆くなっているために、他の箇所より侵食が早くなり、そのひび部分がくっきりと浮き出して人が積んだように見えるのです。
ブリティッシュコロンビア大学教授のリチャード・ピアソン(Richard J. Pearson)は、与那国島では焚火跡、石器、土器を含む紀元前2500年-2000年の小規模な居住地の遺跡が発見されているが、その住民には石造記念物を建造する余力はなかったであろうとの見解
階段状部分の高さがまちまちであり、高いところでは1段につき1m以上もあることなどからも、人工の構造物ではなく節理による自然地形とする見方が裏付けられる。
などなど。
発見により変わり続けるのもまた歴史であるから、これからも説は変化していくだろうけど・・・
両者の議論にもまぁ欠けている要素がある。
それは当時、
「今のテクノロジーよりも高度なテクノロジーがあったとするなら?」
そして、
「地球のテクノロジーよりも高度なテクノロジーもった人たちとの交流があったとするなら?」
という視点だ。
というのも実は、沖縄の言い伝えには、
【現代地球人と形は似てるけど、ちょっと異なる特徴をもった人々に助けられていた】
ことについての言及がとても多いんだ。
与那国島の巨人伝説
まずは巨人伝説だ。
実は巨人についての記述は旧約聖書の「創成期」や外典「エノク書」なんかにも登場する意外とポピュラーな支配者だったりする。
彼らは、あるときには人々を襲い、あるときには人々に新しい技術を伝える者として言い伝えられる。
現代では目撃することはなくなった彼らではあるが、実は化石も発掘されている。
巨人の化石たち
ウィスコンシン州デラヴァン湖(1912年)
(引用元:カラパイア不思議と謎の大冒険『巨人は本当に存在したのか?世界10の巨人発見物語』© 2007-2020 Karapaia)
ブルガリア、ヴァルナ(2015年)
(引用元:カラパイア不思議と謎の大冒険『巨人は本当に存在したのか?世界10の巨人発見物語』© 2007-2020 Karapaia)
ジョージア、コーカサス山脈(2014年)
(引用元:カラパイア不思議と謎の大冒険『巨人は本当に存在したのか?世界10の巨人発見物語』© 2007-2020 Karapaia)
巨大な足跡
(引用元:カラパイア不思議と謎の大冒険『巨人は本当に存在したのか?世界10の巨人発見物語』© 2007-2020 Karapaia)
う~ん。デカい。
沖縄の巨人たち
化石もでるくらいだ。巨人が実在していた可能性は高い。
そして沖縄では、なかなかに巨人神話が多いんだ。
さらに沖縄での巨人たちは友好的な存在として言い伝えられることが多い。
彼らは島を統治したり、当時なかった作物の育て方を教えてくれたりする。
そんな彼らをたたえ遺跡をつくっていたとしたら・・・?
遺跡否定派の根拠のひとつ、あの階段の大きな段差にも理由がつくかもしれない。
(引用元:沖縄タイムスカレンダー2019©沖縄タイムス)
16世紀頃には与那国島で一人の女酋長により支配されていたという伝説がある。
その女性は、サンアイ・イソバという名で巨漢の女で、2m40cmもの身長であったらしい。
そのイソバには四人の男兄弟がおり、その兄弟を与那国島の各地に配置して、島を治めており、その話しから、巨大なわらじを編んで海に流し外敵に、島には巨人がいる!と巨人の存在が強く信じられていたことがわかります。
佐敷地区字津波古に伝わる巨人伝説のことです。
天人は身の丈が3メートルもあり、その昔、村の長老と孫の前に現われて五穀のタネとその育て方を教えたと言われています。(引用元:沖縄県南城市公式ホームページ)
(引用元: 伊江島・人形館『力(ちから)タンナーパの謎』© 伊江島・人形館 )
伊江島の中央にある山には、巨人の足跡があり、タンナーバという大男が住んでいたという伝説がある。
大軍との戦いで城山山頂で大石を投げかけたタンナーパは、その時のふんばりでできた足跡を山頂に残したとされています。
沖縄の民族衣装と長頭人
結婚式や式典で着ることも多い「琉装」
気になった方も多いのではないだろうか?
この頭の長さに・・・・
王族の琉装
(引用元:琉球新報『国王・王妃 威風堂々 首里城祭開幕』©The Ryukyu Shimpo/撮影:田中芳)
花笠
(引用元:首里城祭・琉球王朝絵巻行列コレクションその2©2021 還暦オヤジの気ままなブログ~九州・沖縄の風土、Food記&催事、歳時記)
ちなみにローマ教皇も、
(引用元:Pope_Benedict_XVI_Blessing.jpg:Rvin88二次的固定物:Jüppsche、CC BY 3.0、ウィキメディアコモンズ経由)
そして実は“長頭頭蓋骨”はペルーやエジプトなど、世界中に点在する古代文明が栄えた地域で見つかっている。
(引用元:XNEWS『科学者を驚かせた奇妙な頭蓋骨の発見』©2021 XNEWS)
遺伝子学の専門家によれば、人類は将来的に、
“宇宙空間への進出“と“脳の肥大化“
が避けられないという。
つまり高度な知的生命体は、著しい脳の肥大化により、長頭人の姿をしている可能性が高いのだ。
そしてそれが「将来的に」でなく、すでに存在していたとするなら。
その名残としての、長頭民族衣装だったとするなら。
そして何故あんなにも色彩豊かな衣装がつくれたのか?
【当時の与那国住民には石造記念物を建造する余力はなかった】とする見解に穴があくかもしれない。
アトランティス人の科学はテレパスだった?
ここまで、沖縄の伝説から海底遺跡をみてきたのだけど、
また話をアトランティスに戻すよ。
次はアトランティス人の科学について。
アトランティス人の記憶力
アトランティスの科学力については、19世紀の哲学者ルドルフ・シュタイナーがこう語っている。
現代の我々の文化を生み出したのは、論理の力や計算の能力であるが、初期のアトランティス人にはこれが全く欠けていた。その代わり彼らは高度に発達した記憶力の持ち主であった。
(引用元:ルドルフ・シュタイナー「アカシャ年代記」)
もはや「欠けていた」というよりは「必要なかった」のかもしれない。
ここでいう記憶力というのが、僕らの思う記憶力とは違うレベルにあるからだ。
それは個人のできごと(=記録)を思い出すレベルではない。
はるか連綿と受け継いだ大いなる流れ、相似形の記憶を想い出す「記憶力」にほかならない。
常にどこかで「見たこと」があったような事柄だけが繰り返され、何事かが案出されることもなく、「思い出す」だけであった。
(引用元:ルドルフ・シュタイナー「アカシャ年代記」)
だとするなら、アトランティス人がどこかで「見たこと」のある遺跡を、どこかで「見たこと」のある技術で再現していたとしてもおかしくはない。
でも、そんなことできたら勉強とかする必要ないよねw
うん、勉強はする必要ないかもしれないんだ。
日本にはそれに近い技術?をもっている集団が存在する。
日本の石工集団「穴太衆」
知らない方も多いと思うが、現代でも活躍しているのがこの「穴太衆」だ。
穴太衆の長のインタビュー記事があったので抜粋するよ。
「最初はね、“石の声を聴け”なんて言われてもなんだか分からない。こっちはメジャーを持って石を測っては石垣に押し込んだりしてたんですわ。でも親父の場合は、集積場で石をじっと眺めては“はい、これそっちに持ってって”とはめるとストンと収まる。『親父なんで分かるの』と聞くと『わしは石と話している』というんですよ。なんのこっちゃと思ってましたが、自分が11年目の時に、安土城の修復を任されました。いつもだったらメジャーで測るのですが、その時は集積場で石をみていると、何度も目につく石がある。それであの石持ってこいって現場に運んだらストンと合いました。なんだかね、石が“ワシを使え”と手を挙げているように感じたんですよ。ああ、これが親父の言ってた石の声を聴くということなんか、と思いました」
“石の声”を聴いた方が圧倒的に現場はスムーズに動くというのだw
そこでは積み上げたアカデミックな知識では追いつかない、計算機能が働いている。
穴太衆の人々はそれを「石の声」と表現する。
石とのテレパシックな共鳴こそ、その技術。
そして、そのテレパシーこそ人体の隠された機能の一つなんだ。
アトランティス人の場合はこれを「記憶力」としているけど、
万物との対話、
テレパシーこそ、
古代から受け継がれたはずの、
そして現代ではなくしてしまった、
次世代のテクノロジーなのかもしれない。
ホピ族の言い伝え「日の昇る国から・・」
こんな技術が日本であったのだから、もちろん沖縄の地にもそれに近い技術があってもおかしくない。
だとするなら【当時の与那国住民には石造記念物を建造する余力はなかった】と断定するには早い気がしてくる。
そしてまた、意外なところから、与那国の海底遺跡につながる手がかりが発見されている。
それは、アメリカインディアンのホピ族だ。
ホピ族といえば最近になってから発見されたような宇宙に関しての知識を、古くからの言い伝えの中に持っている不思議な種族なんだ。
ということはつまり、彼らは太陽系先住人類=Space People(SP)と交流があった可能性が高いのだ。
その言い伝えの中に、終末予言もある事で、テレビで以前紹介されていたんだけど・・・
その言い伝えはこうだ。
いつか日の昇る国から、もう1つのペアになった石板をもった白い人が来る。それが自分達の兄にあたる。
とても意味深だ。日の昇る国。まさに日本!
そしてなんと、
実は沖縄に60年以上前に発掘された不思議な石板が県立博物館に数枚保存されているのだ。
嘉手納、北谷などで発掘されたその石板は↓こんな感じだ。
これはヤバい。オーパーツ好きにはたまらない。
(現物をみたいなら沖縄県立博物館にいってみるといいよ。)
彫られている図形は、ちまたで言うムーの文字に似ているし、
日本の神社に残ってい たといわれる、古代文字(神代文字、トヨクニ文字、アヒル文字)とも似ている。
(引用元:『皇朝原始訓蒙 上』©梅村正甫/香泉書房1873年)
ちなみに金星文字だと言われているコレ↓も系統は似ている。
(引用元:マルセル・オム教授の不思議な発見物 ©常岡理太郎 /ユニバース出版 1975)
そして、前出のホピ族の酋長がこの石板をみて、言ったという。
自分達も石板を持っている。ずっと探しつづけていた。
アトランティスと海底遺跡とニライカナイと竜宮城と・・・
そして気になるロゼッタストーンの絵の秘密だが、
諸説あるが、海底都市の動力源や建物の設計図などといわれている。
そのかたちが竜宮城のあの絵と似ているという話もある。
(引用元:絵本「浦島太郎」笠松紫浪画/沖縄の謎の石板の絵©講談社/ 浦島太郎から辿る「世界史と考古学」)
まぁ、ちょっと無理矢理感は否めないか(笑)
一方で沖縄にはこんな概念もある。
ニライカナイ
理想郷「ニライカナイ」
遥か遠い東(辰巳の方角)の海の彼方、または海の底、地の底にあるとされる異界。
豊穣や生命の源であり、神界でもある。出典元:wikipedia
沖縄では理想郷として用いられる概念だが、
今でも歌や物語に数々登場している。
ニライカナイは神々の聖地でもあるのだが、ここで一つ珍しいのは、
神(=天人=SP)が、天空ではなく、海の底や地の底から現れるというところだ。
琉球という呼び名が、隋書(656年)に「流求」と書かれていることも、
流宮、すなわち海底宮殿のイメージを呼び起こす。
そして、竜宮城といえば「助けた亀」。
与那国の遺跡ポイントのアッパーテラスには大亀のレリーフが二体。
助けた亀とはいったいなんだったのか?
果たしてこの神話やロゼッタストーンを読み解いたときに、何が起こるのか?
次のステージへのヒントはこの図だ。
とまぁ、まだまだ語れてしまうんだけど。
もう7000文字を超えてしまっているからね(笑)
長くなってしまったから今日はここまで。
その先が気になってしようがない人は、当サイトをガンガン深掘りしてね。