伊勢神宮の深夜の秘儀・地下宮殿。神秘の謎を解き明かす
目次
二千年続く伊勢神宮とは?
パワースポット伊勢神宮
パワースポットとしての伊勢神宮。なぜそんなに人々を惹きつけるのか?
今回は、そんな伊勢神宮を読み解いて行きましょう。
日本全国の神社の中で、一番の中心である伊勢神宮。正式名称は「伊勢神宮」ではなく「神宮」なんです。
名称に神宮のつく神社は他にもあるけれど、「神宮」とのみ呼ばれるのは伊勢神宮のみ。
称号がそのまま名称になるほど、最も重要な存在ってことなんです。
ではでは、古来より多くの人々を惹きつけてやまない伊勢神宮について、分かりやすく解説していこう。
伊勢神宮のパワースポット4選
まずは、伊勢神宮のパワースポットの紹介から。
①「三つ石」
②踏まずの石
③ツルツルパワーツリー(神宮杉)
④ハートの石
とはいえ、まぁ、そもそも伊勢神宮全体がパワースポットなんですけどね。
神宮とは(内宮と外宮)
さて、伊勢神宮とはどのような神社なのか。
伊勢神宮は1つの神社の名前ではなく、125社もの神社が集まった総称なんだ。
中でも有名なのは、アマテラス(天照大御神)が祀られている内宮の御正殿。もう一つ、アマテラスのお食事を司る豊受大御神が祀られている外宮の御正殿。
「伊勢神宮」というと、この2つをお参りするのが一般的。
そしてそれぞれ、内宮は約2000年、外宮は約1500年もの歴史がある。2000年前といえば、キリストが生きていた時代。驚きです。
さぁ、伊勢神宮にはどんな歴史が隠されているか見ていこう。
伊勢神宮の謎?!
天皇さえも見れない八咫の鏡の秘密
八咫鏡(イメージ)写真は大型内行花文鏡
伊勢神宮の内宮には、あの八咫鏡が奉安されている。
八咫鏡とは、「古事記」に記される神々の中で最も重要な神様・アマテラス(天照大御神)が天岩戸に隠れ、世界が暗黒になったしまった時、岩戸からアマテラスをおびき寄せるために使った鏡のこと。
(引用:神宮司庁 『天照大御神』 伊藤龍涯 神宮徴古館蔵 © Jingushicho.)
つまり、八咫鏡のおかげで、現在も地上に太陽が降り注いでくれている、というわけだ。
なお、太陽神・アマテラスを岩戸から引っ張り出した「八咫鏡」は、天皇の即位式の際にも使われるが、天皇さえも見ることは許されていないらしい。
引用:BBC NEWS JAPAN アナ・ジョーンズ、BBCニュース Copyright© 2009-2020 BBC World Japan Limited.
何人たりとも見ることが許されない「八咫鏡」。その神秘性ゆえに、多くの噂や伝説が残されている。
八咫の鏡とユダヤの関係?!
有名な伝説の一つが、八咫の鏡を見たという人が何人か現れ、鏡の裏には古代ヘブライ語が記してあった、と言われている。
旧約聖書の『出エジプト記』の一説では”我はありとて有る者”と刻まれていたらしい。
また、伊勢の石灯籠には天皇家の菊花紋の下にユダヤ教のシンボルである六芒星が掘られている事も有名だ。
伊勢市内の石灯篭-天皇家の十六弁菊花紋とユダヤ王の紋章が刻まれている
(引用:歴史と素敵なお付き合い gannyan1953さん)
このように、伊勢神宮とユダヤの繋がりは、あちこちで囁かれているが、誰も見ることができない八咫の鏡。
確認できないからこそ、謎に包まれたまま神秘性を保ち続けている。
八咫の鏡以外にも、伊勢神宮には様々な秘密が隠されているんだ。特に驚きなのが、伊勢のお祭りだ。
年間1500回ものお祭り?!
伊勢神宮では、年間1500回ものお祭りが行われている。
ただ「屋台がズラリと並ぶようなお祭り」ではなく、平安期から変わらない儀式で受け継がれている静粛なお祭りだ。
中でも、特に代表的な祭事を紹介していこう。
ー大御饌祭ー古代にタイムトリップした儀式?!
大御饌祭(おおみけさい)に出される神様のお食事
(引用:神宮司庁より「日別朝夕大御饌祭の神饌」© Jingushicho.)
朝夕2回、神様に捧げられるお食事の祭事だ。1500年も昔から、毎日粛々と続けられている。
(引用: 神宮司庁より 「火きり具で火をきり出す神職」© Jingushicho.)
また、調理の際にライターなどは使わず、木を擦り合わせて火を起こす。
古代日本にタイムスリップしたかのよう。
ー神嘗祭ー自給自足の森と神様のお食事
(引用: 神宮司庁より 神嘗祭(かんなめさい)の儀式の様子 © Jingushicho.)
神嘗祭は、その年の収穫に感謝するお祭り。十日間も続けられるんだ。
また、神様のお料理の食材は、海の幸以外は自給自足。神宮の森で収穫したもの。(そりゃ森では海の幸は獲れないよね・・)
(引用: 神宮司庁より 伊勢の森 © Jingushicho.)
神宮の森は5500ヘクタールもある。5500ヘクタールというと、パリ市と同じ程の面積。
壮大な森は、まるで”もののけ姫”の世界。 縄文から続く広大な森の中に佇む神社。
神宮の森に立ち尽くすだけでも、圧倒されることは間違いないだろう。
ー式年遷宮ー20年毎の神様の引っ越し
(引用: 神宮司庁より 式年遷宮(しきねんせんぐう)で使われる柱伐採 © Jingushicho.)
伊勢神宮は、20年に1度、神様のお引っ越し(式年遷宮)が行われる。
(引用:神宮司庁より 20年ごとに行われる式年遷宮(左が新宮) © Jingushicho.)
式年遷宮は、なんと1300年も続く儀式だ。
こちらの映像を見てもらいたい、実に厳かな雰囲気の中で執り行われている。
(引用:【伊勢神宮】式年遷宮 Youtube: 伊勢神宮 公式チャンネルより)
なんと20年に1度、お宮を作っては壊す、を1300年も続けてきた。
また、建設の際に大型重機なども使用せず、1300年前から続く技法により行われるため、費用も莫大。平成25年の式年遷宮に掛かった費用は約550億円。
同じものをそっくり作るのに550億円も掛けるとは・・数字だけで見ると、勿体無く思えてしまうね。
そこまでして、なぜ神様の引っ越しを守り続けるのだろうか?(その理由も後ほど解析していくよ!)
「地下宮殿」「心御柱」「深夜の秘儀」とは?
(引用:四国新聞社HPより 心御柱のための「木本祭」で身を清める神職 (C) 1997-2021 THE SHIKOKU SHIMBUN.)
御正殿の中央の床下には、心御柱が深く埋め込まれている。
心御柱は床下に埋め込むので、物理的に建造物を支える柱としては機能していないが、神の御霊が宿る木と言われ、その多くが謎に包まれたまま。
心御柱は忌柱とも呼ばれており、その名を口にするだけでも畏れ多いとされる。
また、心御柱を伐採するための木本祭は、ひっそりと真夜中に行われる秘儀なんだ。
心御柱 (引用: 『心御柱秘記』 国立公文書館デジタルアーカイブ 内閣文庫蔵)
儀式に携わった神職も、一切口外してはいけないとされる。
そこまでして守り続ける心御柱の謎とは?(最後まで読むと見えてくる!)
他にも、伊勢神宮には「地下宮殿」が存在するという噂もある。
実は、伊勢神宮には「地下宮」があるという説もあります。
これは、その昔日本に訪れたとされる、原始キリスト教徒(初期のキリスト教が誕生したころの教徒)によって建設された地下宮が、伊勢神宮であるというような内容です。
伊勢神宮を構成する別宮の「伊雑宮(いざわのみや)」の地下に隠し神宮があって、そこにイエス・キリストに関係した「心御柱」があるらしいのです。
つまり、御心柱の儀式もそうですが、このように伊勢神宮には、まだまだ、一般の我々が知らない、一般の常識をはるかに超越した何かが、謎が数多く残されているのは事実です。
もし地下宮殿が存在するなら、どんな秘密が隠されているのだろう。歴史が古く、神秘性のある儀式なども多いゆえ、多くの噂が絶えない伊勢神宮。
ここまで様々な伝説、歴史、お祭りなどを紹介してきたが、次は、この伊勢神宮がいかに多くの人々を惹きつけてきたかを紹介しよう。まずは江戸時代。
江戸庶民の憧れ・お伊勢参り
「伊勢神宮 宮川の渡し」歌川広重
「一生に一度は伊勢参り」と言われるほど、江戸時代の庶民にとっては憧れの旅だった。
伊勢参りは「抜け参り」も呼ばれ、奉公人が主人に無断でこっそり抜け出しても、「お伊勢参りなら仕方がない、お咎めなし!」とされていたからだ。庶民が勝手に旅行することは厳しかった時代でも、この伊勢参りだけはフリーパスだ。
また、日本人のみならず、多くの海外の偉人たちも伊勢神宮を絶賛している。
伊勢神宮と日本文化に魅了された、世界の偉人たちの言葉
(引用:書籍「Arnold J. Toynbee: A Life」William H. McNeill (著) © 1996-2020, Amazon.com, Inc.)
この聖地(伊勢神宮)において、私はあらゆる宗教の根底的な統一的なものを感じる。
アーノルド・トインビー(1889-1975)イギリスの歴史学者
(引用:書籍「L’Anti-LÉVI-STRAUSS: Autour de la loi générale qui」Norbert-Bertrand BARBE (著) © 1996-2020, Amazon.com, Inc.)
イスラエル、パレスチナの遺物は、現在とは隔絶された過去のものである。しかし日本の神社は古代から現在に至るまで連綿と継続し、今なお存在することに深い感動を覚える。
クロード・レヴィ・ストロース(1908-2009)フランスの社会人類学者
私が断じて滅びて欲しくない一つの国民がある。それは日本人である。これほど興味深い、太古からの文明は消滅させてはならない。
ポール・クローデル(1868-1955)フランスの劇作家、外交官
世界中の偉人さえも、深く惹きつける伊勢神宮。
お笑いと芸術の巨匠、ビートたけし氏も・・・
「普通は『お参りしよう』と思うが、あそこの前に立たされると、お願い事をしてる場合じゃないの。忘れちゃうの、もう。ただ唖然として立ってるだけなの。何か自分がこう一部の、宇宙とかそういう全ての中に、よくぞここに立たせていただきましたぐらいの感謝しかなくて、図々しく仕事うまくやらせて下さいなんていうような、そんな頭はなくなってしまうの。」
(引用元:日テレ「たけしの“教科書に載らない”日本人の謎」より©Nippon Television Network Corporation)
初めて伊勢神宮に参拝したビートたけし氏も、驚きの声を隠せないようだ。
(引用元:日テレ「たけしの“教科書に載らない”日本人の謎」より©Nippon Television Network Corporation)
たけし氏が初めて伊勢の内宮をお参りした際の映像。内宮の御正殿は直接拝むことは許されない。
カメラ撮影ができるのは石段の下まで。
たけし氏が参拝した時、蹲踞(お相撲さんが取組前にしゃがむ姿勢)をとり、柏手を打っていた。
伊勢の神職たちに伝えられる正式な参拝方法だ。実はこの蹲踞の姿勢にも、秘密が隠されている。
さて、伊勢神宮と蹲踞との繋がりとは・・・
日本の文化に隠された「型」の秘密
深い歴史と、多くの神秘性に包まれた伊勢神宮。
その魅力の秘密は、
”日本古来から伝わる「型」”
にあったんだ。
日本古来から伝わる「型」と言って思い浮かぶのは・・・
(引用:The Japan Times [Yokozuna Futabayama (second from left) performs his ring-entrance ceremony before retiring on Nov. 19, 1946, at the original Ryogoku Kokugikan in Tokyo. | KYODO] THE JAPAN TIMES LTD.)
(引用:観世流24世宗家観世左近(1895 – 1939)による「安宅」)
(引用:住吉神社の巫女 「今昔写真」より)
日本古来から伝わる伝統、それぞれの「道」の世界から生まれる「型」を守った上での所作。
これらの写真を見て、共通して感じることは、凛とした空気感が流れているということ。
「型」が整うことで、人体から放たれる空気感が変わる、と言えるよね。
ソファーに寝転がってポテトチップスを食べている人の姿からは、当然だけど、凛とした空気感は感じられない。
神道や芸道や武道など「道」が付くものには「型」がある
「型」の所作が生み出す空間を通して伝わる精神性
(引用:諫早神社HP 出雲大社復元図 (C) 2009-2021 諫早神社.)
また、「型」を守り続けた技法から生み出されたもの、その「物」にまで、凛とした空気感・神聖さを感じる。
日本人は、人体の「型」から醸し出される空気感、その精神性を
「型」から生み出される独自の技で作られた”物”にまで
強い精神性を帯びた神聖なものと捉えてきた
(引用:関鍛冶伝館 (c)2003 Seki Sightseeing Association )
『峻厳さ』で結びついているのが日本文化の歴史
「型」から溢れる精神性-伊勢神宮の柱・人体の柱
2000年も「型」を守りつづけ、その精神性を引き継いで来たからこそ、神社の中心、日本の中心と言われる伊勢神宮。
つまり「道」を極め「型」を守り続けてきた人々の精神性が、伊勢神宮の厳かな神秘性を保ち続けてきた。
だから、お宮のお引っ越しの際も、「型」を守ることが大切でなので、重機などは使っていないんだ。
自然が美しいだけの空気感とは違う、伊勢神宮の圧倒される厳かな精神性は、「型」から生まれたものであり、人体が生み出してきたと言える。
では、人体が「型」を守り続けると何が変わるのか?・・・それは、「軸」が生まれてくる。つまり「柱」。中心感覚。空洞感。
信仰という概念ではなく、「型」から生まれるものは「軸」であり「柱」
そう、伊勢神宮の秘密は『柱』に隠されている。
伊勢神宮の神秘性・峻厳さの源は、常に軸を立て続けているから。建物をまるで生き物のように扱い続けることで、建物自体に精神性が宿っているということ。
ちなみに、神様の数え方も、1柱、2柱、と「柱」という単位を使う。
伊勢神宮の地下に埋められた”心御柱
心御柱には、「型」を守り続けきた人々の脈々と繋がる精神性が宿っているんだ。
「型」を守らなければ、表面だけ真似ても、その精神性は失われてしまう。なぜなら、「型」から生まれる体感、その体で感じる静電気感から生まれる秩序が、「型」には宿るから。
多くの人々がパワースポットに足を運び、身が清められた気持ちになるのは、場に放たれた精神性を身体が受け取るから。
だが再び日常に戻ると、その峻厳さは失われてしまう。
人体の「柱」を失いつつある現代の日本人は、どこへ向かっていいか分からなくなってしまっている、とも言えよう。
「道」を失いつつある現代の日本人。
何かを忘れてしまったような、何かを思い出したいような、何処かへ向かいたいけど、何処へ行ったらいいのか分からない。
漠然とした不安感や虚無感が漂う現代人・・・
それは現代人は「柱」を失いつつあるから。