日本人なら知っておきたい!お辞儀の語源と意味、お辞儀の仕方まで徹底解説

お辞儀

 

気をつけ! 礼!!

『おはようございます。』

一礼。

この光景は学校や会社の朝礼でもよく見る光景です。

朝から一礼をして、学ぶ者は教わる者に対して礼節をはらい、
一日の生活が始まるというのは、私たち日本人とってはスタンダードな1日の始まり方であると思います。

高校三年生の面接の練習や新卒で始めて会社に出社する時、
お辞儀の角度やビジネスマナーとしてのお辞儀のいろはについては誰もが一度は調べた事があるはずです。

基本的に立った状態でのお辞儀についてを教わる事が多く、インターネットでお辞儀について検索をしてもほとんど立った状態でのお辞儀”立礼”のやり方について書かれている事が多いですね。

しかし、お辞儀は立って行う”立礼”だけでなく、古来からの作法であり正座で行うお辞儀 ”座礼” があります。

今回は正座で行うお辞儀 ”座礼” について、
その由来や正しい型についてお伝えしたいと思います。

 

日本のお辞儀、その語源と由来

まずは型のやり方を見る前に、そもそもお辞儀の語源と由来について一緒に学んでいきましょう。

始まりは平安時代

お辞儀は、平安時代に物事を行うのにちょうど良い時期を意味する「時宜(じぎ)」という言葉が語源であるといわれています。

その後、中世の日本(鎌倉1192〜室町1336-1573)のおよそ350年という時代の変化の中で、今のお辞儀の意味としても捉えられる“人への配慮”といった意味と動作へと変化していきました。

室町時代

 

出典元:バーチャル刀剣博物館 刀剣ワールド

それまでは礼儀作法をしっかりと学べるのはある程度の階級のある人のみでしたが、室町時代になると現代の礼儀作法・所作の元となる、小笠原流という礼法が生まれました。

元は武家の人が学ぶ作法であったため、相手に敵意のないことを示すため、普段左に差して右手で抜く刀を、あえて右側に置き刀の刃を自分の方に向けるという所作があるなど、その当時の身分や文化に則したお辞儀の型であり、庶民の人に馴染む型ではありませんでした。

江戸時代

しかし、そこからさらに約300年。

江戸時代になると庶民も武家の作法を嗜むようになっていき、裕福な家庭では娘を武家に行儀見習いに出す習慣もでき、庶民も礼儀作法を学べるようになっていきました。

そして、”お辞儀”という言葉が頭を下げる動作ということが定着し、江戸時代末期に今のお辞儀の原型ができたと言われております。

このような流れから礼儀作法というものが現代の私たちにまで広まってきました。

 

こうして 時系列で見てみると”時宜”という言葉から始まり ビジネスマナーとしてお辞儀が生活に定着するまでになんと約1200年近くの歴史があります。

ちなみに今や知らぬ人はいないiPhoneの初代は発売が2007年。今から12年前です。

今やiPhoneⅪにまで進化を遂げカメラも3つもつきましたが、それでも12年!
お辞儀の約1200年っていうのは本当に計り知れないほどの物語が詰まっているのです。

 

正しいお辞儀の型

ではここからは 、言葉以上に情報の詰まったお辞儀の型を実際に一つ一つの動きから細かく覚えていきましょう。

ちなみに昔のお侍はお辞儀の型を見て相手に敵意がないか?どんな気持ちで相手はお辞儀をしているのか?をその型で見極めておりました。

正しい型からのズレ方に、その人の状態が映しだされるのです。そこも含めて解説させていただきます。

正しいお辞儀と正座の型のチェックするポイントは四つあります。


正しい型○


正しい型○


正しい型○

正座の構え方(横)

正座の構えはとても重要です。この時に仙骨を引き上げ、鼠蹊部をしっかり折り込み、顎を引いて、太ももを閉じた形ができていないとお辞儀をした時に形が崩れ背中が丸くなったり、顎が前に出てしまいます。
視線は顎を引いて相手の眉間のあたりを見るようにしましょう。
顔は作り過ぎず、自然な表情で構えてください。必要以上に顔を作ってしまう人は自分に酔っ払っています。
お辞儀の時間に自分の表情に酔っ払うなんてとんでもありません、しかしキチンとした型を身につけないと頭でいくら雑念を消そう、リラックスしようと思ってもうまくいきません。頭ではどうにもならないからこそ”型”が存在しています。
その型に縛られることで、余計な雑念が湧いてくるのを牽制することができるのです。
これが型を学ぶ大事な理由になります。覚えておいてください。

※ダメな例


顎が出ている✖︎
仙骨が丸くなり鼠蹊部が織り込めていない✖︎


このように眉間から顎を引いてきましょう○


正しい型○
この型を目指しましょう。

 

正座の構え方(正面、肘)

脇の締め方がポイントになります。脇を広げてしまうことで仙骨をそれなくなってしまうので、顎を引いた正座の型で構えることができません。

※ダメな例


肘が開きすぎている✖︎


正しい型○

正面からは肘の締め方、手の位置に気をつけましょう。

正座の構え方(正面、手の位置)

手は太ももの付け根の位置にくるようにして、指を綺麗に揃えて構えましょう。

※ダメな例


手の位置が外にいき過ぎている✖︎


手の位置が前に行き過ぎている✖︎


手を置く位置が前にきすぎている✖︎


手の角度がまっすぐになりすぎている✖︎


手の位置が前に行き過ぎ、手の角度と指が遊んでしまっている✖︎

小指が開いてしまっている✖︎


正しい形○

太ももの付け根の上に手の指をキチンと揃えて構えてください。

手を置く位置

手のつく位置が正しくないと、頭を下げた時にお腹を感じることができません。

※ダメな例


遠すぎる✖︎


近すぎる✖︎


正しい位置○


正しい位置○

指の付く位置が膝から手のひら一つ開けたところになります。遠すぎても近すぎてもいけません。気をつけましょう。

手の形

お辞儀の時に手首に力は入りません。床に優しく第二関節が触れるように構えることで、肩や肘に力が入らずに自然なお辞儀の型になります。
手首の柔らかさは上半身を支える時のポイントになる場所なので、手首が固まって上半身がこわばったお辞儀と緩んだ手首から生まれる柔らかい上半身の型とでは相手がお辞儀から受け取る印象は大きく変わります。

※ダメな例


指が遊んでしまってはいけません✖︎


正しい形○
第二関節が少しつく位置まで指を折り曲げ、指が遊ばないように揃えて構えます。


後ろから○
第二関節が軽く触れるくらいで構えます。


手のひらにくぼみができるように指を揃えます○


正しい指の間の間隔○

左右の指の間隔は2センチくらい開くようにしてください。仙骨が反れて、鼠蹊部の折り込みができていればお辞儀をする時に自然とこの形になります。

お辞儀の深さ

お辞儀は地面と平行になるくらいの高さでキープするのが正しい型です。
お辞儀が深すぎるのも実は正しい型ではありません。一見相手より身を低くすることで尊重しているように見えますが、そんな現代的で合理的な演出をするのはそもそも本当の意味で相手を尊重しているわけでも、礼節を汲んでいるわけでもありません。

礼節とはあくまでもあなたとこうして向き合えるまでの様々な背景を踏まえ現在地に立ち返るという行為なのです。

浅いお辞儀の型もまた礼節を汲んでいるとは言えません。無意識にお辞儀が浅くなってしまいがちな人は自分に自惚れていないか振り返ってみてください。
相手がいるからお辞儀が成立します。そのことを思い出してください。

※ダメな例


深すぎる✖︎


浅すぎる✖︎

正しい型○

仙骨に力が入っており、地面と平行な位置で上半身の位置をキープすることができている。鼠蹊部と仙骨を意識していないとこの位置で体をキープする事ができません。
体を下げる時には、夕日が沈むようにゆっくりと上半身を倒してきます。体を起こす時には太陽がゆっくり登るように上半身を起こしながら上半身の動きと連動するように顔も正面を向くように起こしてきます。

 

美しいお辞儀と所作を身につける

お辞儀の型は一つ一つが適当に生まれたわけではなく、1200年もの年月の中で洗礼されきった見事な型であり、現代でも昔とは生活様式が大きく変わっているにも関わらず残り続けています。
これだけお辞儀の歴史が深く続いているのは、お辞儀の型の持つ意味が日本人の持つ精神性にとてもよくあい、言葉を主体としてではなく、身体感覚を一とする”下腹重心”な和人だからこそ深く根付いた文化とも言えます。

西洋ではピラミッド式な情報操作により君主と奴隷の階級が決まるといいます。
一方、日本では縁による情報共有が日本の士農工商の階級の生まれであり、庶民の上に立つ主君の存在は担ぎ担がれるという関係性で成り立っておりました。

また、主君となるものは庶民の支えがあるからこその自らの地位であり、采配を振るうお役目に預かっているという立場を自覚していました。また庶民は主君という立場について、

『わしら庶民より豪華な暮らしを送れているかもしれんが、民をまとめる決断や、主君として背負っている責任はワシらの背負うもの以上の重さがある。』

ということを踏まえており、また主君も庶民のその意図を汲んで上に立つ者として、公の人間としての自覚がありました。

その精神性が根本にあるからこそ、庶民はお侍や主君には礼節を汲んでいたのです。

このやりとりは、お辞儀に”意味があるから行う”という肌感のない機械的なものではなく、お互いに尊敬と尊みがあるからこその作法であったと言えます。

女性がお酒を注いでくれるのも、「男としての使命を果たしてください。私は女性としてやるべき事を行います。」の思いを言葉ではなく型で示したやり取りでお酒を注がれた男は注がれた意味、背負っているもの、男としてやるべき事を踏まえ飲むという行為で「ああ」と返事をする。

言葉に交わさずとも所作や作法という”型”でコミュニケーションをとりあうのが日本の根底にある精神性であります。

 

私生活の根底に礼節を汲み合い、公を意識した人間の洗練され、磨かれた所作は、言葉を交わさずともたたずまいや雰囲気に滲み出るものです。

それがまさに「品格」。

言葉の意味に囚われてしまいがちな現代だからこそ、忘れ去られた日本の身体文化をお辞儀から取り戻していきましょう。

型・礼節から、品格ある美しい所作へとカラダを養う、大人の学び直しがココから始まります。