神社・巫女に受け継がれる古の礼節『蹲踞(そんきょ)』の姿勢すぐ解るやり方と意味解説
蹲踞~SONKYO~
目次
蹲踞とは?
古くから伝わる日本の身体文化の一つ、「蹲踞」。
体を最も低くすることで、相手にかしこまった形を示す敬礼であり、重心を下げ、カラダの軸を整え、精神を整える、古の礼法であり、日本人の基本所作でありました。
(引用:youtube 住吉大社 湯立て神事2013 「2013.01.12住吉大社若宮八幡宮例祭 湯立神事」)
↑これが簡単そうにみえて結構キツイんです!
巫女さんも蹲踞の姿勢を取る儀式がありますし、伊勢神宮内宮では蹲踞をして参拝をしたりします。
しかし、現代の情報化社会(=頭重心社会)において蹲踞をし、重心を下げるという体感を無くしてしまった私たち。もはや、「重心が下がるということがどういうことなのか?」その意味すら忘れてしまいました。
(引用元:日下部金兵衛アルバム/撮影者:日下部 金兵衛/所蔵:長崎大学附属図書館(中央図書館))
ですが、その意味がわからなくとも、「下腹重心」で地に足の着いていた人々から放たれる空気感は写真をみれば言葉で説明しなくともわかると思います。
諸外国を驚かせた日本の身体文化
150年以上昔の日本の民達が体得していた下腹重心という身体文化。
それは当時外交に来たハリスやペリー、各国を代表する人物達にこう言わせしめました。
『彼ら日本の民はみな艶がよく、身なりも良く、笑顔が多く幸せそうである。一見したところ、見るからに富める者も貧しき者もいない。これが恐らく豊かな国の人民の本当の幸せな風景というものだろう。私は時として日本を開国させ我々、外国の影響を受けさせることが果たしてこの日本の方々の普遍的な幸せを増進する由縁になるかどうか疑わしくなる。私は質素と正直の黄金時代をどの国よりも多く、この日本(江戸末期)において見出す。』
タウンゼント・ハリス
美しい眺めです。男たちが海中に立ち、銀色の魚がいっぱい踊る網を延ばしている。
そして子供や、漁に出る男のいない後家も、老人たちも、漁師のまわりに集まり、彼らがくれるものに籠をさしだす。
そして、市場に出せない魚はすべて、この人たちの手に渡るのです。物乞いの人にたいして罵声もない。
見ていて良いものです。そしてその物乞いたちも、貧しいとはいえ、絶望や汚穢(おわい)や不幸の様相はないのです。欧米公使ヒュー・フレーザーの妻 メアリ
1800年代中期の欧米ではすでにテクノロジーの発展が進んでおり、産業的な面では日本のはるか先を行っていました。便利な機械や道具に囲まれ、物質的には豊かな世界の最先端を進んでいた国々。
そのトップがこの様に日本を賞賛していたという事実。
その当時において昔の日本の民の習俗は世界レベルで見ても全く劣っていなかったことがわかります。
このことから分かるのは、昔の日本人の精神的豊かさや振る舞いの美しさは、物質的に富んだ国から見てもとても豊かであり、技術の革新が必ずしも民の精神的豊かさや文化レベルを上げるのに絶対に必要な事とは限らないこと。
(引用元:玉村 康三郎アルバム/撮影者:玉村 康三郎/所蔵:長崎大学附属図書館(中央図書館))
この日本人の持つ豊かな精神性や文化が一般の民にまで行き渡っているのは、制度によって生じたものではなく、縄文時代から長年に渡り自然と同化するようにして育まれてきた、その独特の型文化(武士道、礼、義、仁)にあります。
階級に囚われず、一般庶民にまでいきわたるよう洗練された和所作の稽古習慣は、言葉遣いや芸術、建物にまで活かされ文化となって、和の暮らしの至る所に深く根づいています。
下腹重心、そして「蹲踞」を学ぶ。
おそらくここRSEL寺子屋は世界で唯一、ホンモノの蹲踞を学べる場所です。
私たちが忘れてしまった日本の独自の身体文化、ヘソ科学、重心論を取り戻すべく、歴史を読み解きここまで科学的に真実を探求し”重心論”として実践稽古にまで落とし込めている教育機関は他にないと自負しております。
今回は、一部ではありますが蹲踞の正しいやり方を公開します!
これから蹲踞稽古を学びたいと思っている皆さんに蹲踞を実践する上でのポイントをまとめました。
古の礼法「蹲踞」四つの型
まず、RSEL寺子屋では四つの蹲踞の型を教わります。
・開き蹲踞
・立ち蹲踞
・中蹲踞
この中で一番有名なのは、相撲や剣道でもおなじみの開き蹲踞です。
(引用元:1967年秋場所14日目、大鵬、柏戸(手前)の仕切り(取組前)(東京・蔵前国技館)(1967年09月24日) 大 鵬~昭和の大横綱~ 写真特集 /©時事通信社 JIJI PRESS LTD.)
ですが、蹲踞の基本型は、実はこの↓閉じ蹲踞。
(引用:youtube 住吉大社 湯立て神事2013 「2013.01.12住吉大社若宮八幡宮例祭 湯立神事」)
今回は基本の型である閉じ蹲踞のやり方から、身体の各部位が示す意味まで、徹底解説していきます。
閉じ蹲踞のやり方
閉じ蹲踞をする上でチェックするポイントは九つあります。
まずは足指のチェックからです。
足指
足指は木で例えると根っこです。根の張れない木はグラグラになってしまうように蹲踞においての足指はこれから型を積み上げて行く上でも最も大切な部位となります。
チェックポイントは三つ
◎外反母趾はないか?
◎足指は流れていないか?
◎尺取りはできているか?
↓理想の形◎ 足指の噛み締めがキレイにできており指の流れもなく、外反母趾もない美しい形
↓後ろから見るとこの様に足指の付け根が綺麗に地面に設置しているのがわかると思います。
↓指が流れている✖︎ 人差し指、中指、薬指が流れてしまっています。これではしっかり地面を噛みしめる事ができず、重心を下げる事ができません。
↓足指の噛み締めができていない✖︎ 一見キレイに構えているように見えるが足指の噛み締めが全くできていません。
足首
足首は承認と信頼のシンボルです。サスペンションの役割を果たす足首は足裏から上に持ち上がる力と、上半身から下に下がる力を転換し調整する部位であり、蹲踞でバランスをとる事に欠かすことのできない大切な部位でもあります。
足首の柔らかさはこの後に紹介する膝や仙骨、肩の注意ポイントにも影響が出るのでキチンとチェックしましょう。
チェックポイントは一つ
◎足首が85〜90度曲がっているか?
↓90度の足首◎ このように足首を曲げるには足指への承認が必要で足指で地面を噛み締める事ができないと90度を保つ事ができません。
↓足首が90度に曲げられていない✖︎ 足首が硬いと蹲踞でバランスを取る事ができず、仙骨も反れないので下腹重心を感じることができません。
太ももは閉じれているか
閉じ蹲踞では太ももを締めて忍耐します。太ももは鼠蹊部とも連動しているため閉じきれない太ももは鼠径部の固さが原因であることが多いです。
また鼠径部は種族保存(チームワーク)を大事にしている者のシンボル。
太ももが閉じれない方は、チームワークのためではなく自分の見栄のために蹲踞をしている姿勢を示しています。
蹲踞をするのはこの体がチームワークでできていることを感じること、体は何か一つのもので形成されたわけではなく、いろんな部位の連携でバランスを取っている事、そのことを忘れていないか?ということを蹲踞の型から学ぶ時間であり、自己満足や単なる個人的成長のためだけでは断じてありません。
これを超人願望の罠といい、多くの人が陥ってしまいます。注意してください。
チェックポイントは二つ
◎膝の左右差がないか?
◎太ももは閉じれているか?
↓正しい形◎ 太ももが閉じれるかどうかは、鼠蹊部と仙骨の柔らかさが影響しています。ガムシャラに太ももを閉じる従来のスポーツ的な太ももの閉じはあまり意味がなく、連動して動いている部位を見つけ、そこの強張りをほぐし体の連動性をあげていくという視点で取り組んでください。
↓太ももの左右のバランスが悪い✖︎ 偏った足首の柔らかさ骨盤の偏りがあると無意識に太ももに左右差が出てしまいます。
↓太ももが開いている✖︎ 筋肉が多くて物理的に閉じれないという方も蹲踞稽古していけば、その人の体格にあった筋肉量に整ってきます。
仙骨は反れているか
仙骨は適正協力を示す部位です。
反れていない人は、人と力を合わせられない傾向にあり、逆に反り腰の人は過剰な協力(過保護)をしてしまう傾向にあります。
また、仙骨を反れない事で上半身の重さを下腹におろして丹田に束ねる事ができなくなります。
そして何を隠そう丹田とは仙骨の反対に存在するため仙骨を反る事のできぬ者がいくら丹田を鍛えたところでその丹田は開花する事はないのです。
チェックポイントは四つ
◎腰椎4番5番から反れているか?
◎みぞおちがでしゃばっていないか?
◎仙骨が丸まっていないか?
◎仙骨の反りを意識しすぎて上半身が倒れすぎていないか?
↓正しい形◎ このように頭頂部からお尻に一本の軸が立つように意識します。 背骨がS字ラインを描くように意識してください。下腹重心稽古における仙骨の反りとは腰椎4番5番から反る事をさしており、1番2番から反る事を反り腰(エセ仙骨)といいます。
↓仙骨が反れずみぞおちが出しゃばっている✖︎ 腰椎1番2番から反るとこのようにみぞおちが前に出ます。足首が硬い場合や、仙骨を反る感覚が掴めるようになるまではこのようにみぞおちが出しゃばってしまう傾向にあります。
↓仙骨が反れていない✖︎ 足指、足首、鼠蹊部が硬いと体の重さを下半身で束ねる事ができないため、重心が上に上がってしまい体がグラグラし仙骨を反る事ができません。
↓仙骨の反りを意識しすぎて逆に後ろに倒れそうな姿勢になってしまう✖︎ 自分の仙骨の硬さを受け入れず、無理に反ろうとするとこのような姿勢になってしまいます。おすそわ郵便県 ファーストクラス【蹲踞編】に載っている体育メソッドを行うことで徐々に反れるようになります。
腰腸骨は曲がっていないか?
体を偏って扱っているとだんだんと骨盤の骨が前後上下にズレてしまいます。胴の太いボディフィギュアの丸太型の方は左腸骨が前に出やすくなる傾向にあり、太ももが太い洋ナシ型は右腸骨が前に出やすい傾向があります。また、斜に構えたモノの見方をしている人も腸骨はねじれてくるため『素直にわかりました。』と言えていない人は要注意です。
チェックポイントは一つ
◎左右のねじれがないか?
↓腸骨 ここが前後上下にズレてしまっていないか? ズレていると蹲踞姿勢で上から見たときにねじれている方の膝が前に出てきます。
↓右の腸骨が前に出るとこのように傾いてしまいます。捻れている本人は真っ直ぐのつもりでいるので教えてあげないといけません。鏡でチェックしても気づくことができます。
↓左の腸骨が前に出るとこのように傾きます。
鼠蹊部の折り込みができているか?
鼠蹊部は生殖器の収まっている場所であり、種族(仲間)への想いの強さを示しています。
また、仙骨を反るためにもその対(つい)の関係である鼠蹊部の折り込みができていないと仙骨は反る事ができません。
チェックポイントは一つ
◎鼠蹊部が折り込めているかどうか?
↓鼠蹊部はここです
↓このように膝を持ち上げる事で鼠蹊部が折り込まれる感覚を育てる事ができます。
↓鼠蹊部が折り込めている◎ 鼠蹊部が折り込める事で仙骨を反る事ができます。
↓鼠蹊部が折り込めていない✖︎ 鼠蹊部を折り込めないため仙骨が反る事ができません。
肩・肘の強張り
蹲踞のバランスを肩でとっていませんか?
肩に力が入ってしまう人はカッコつけしいの傾向があり、自己防衛のシンボルでもあります。
蹲踞は体を空洞とし人を招き入れる型でもあり、自分を守るための型ではありません。肩の強張りは手首の位置を修正すれば連動して下がってきます。
チェックポイントは一つ
◎肩が強張っていないか?
↓肩が下がっている型◎
↓肩に力が入っており重心が下がりません✖︎
手首の硬さ
手首の硬さは体への触れ方、出力、傾聴力、連携率、たおやかさを示すシンボルです。右手首が硬い人は人の体への触れ方が雑な傾向にあり、左手首の硬い人は自分の体への触れ方が雑な傾向にあります。その他にアウトプットの雑さや所作の汚さにも影響が出てきます。
また手首の柔らかい人は慎みのある人です。武士はお辞儀を見る事でその手首の柔らかさ、姿勢から相手が本当に礼節を尽くしているのかどうかを見抜いておりました。
チェックポイントは四つ
◎蕾の形になっているか?
◎手首は下に下がり横を向いてしまっていないか?
◎胸の前で構えてしまっていないか?
◎肘が外に出てしまっていないか?
↓正しい型◎ このように蕾の形になるようにしてお臍の前で合掌します。左右の手は押し合うのではなく指と指の腹がそっと触れあうよう意識して構えます。
↓手首が下に下がり手首が横になってしまっている✖︎ しっかりお臍の前で構えて首を軽く上に向けるように構えましょう。
↓胸の前で構えてしまう✖︎ この構えでは手の位置が高いため下腹ではなく上半身でバランスをとってしまいます。
↓肘に力が入り外に出てしまい脇が締まっていない✖︎ 脇が空いてしまうことで肩に力が入り、手首をお臍の位置で構える事ができません。
頭と顎の位置は正しいか
後頸部はキチンと引く事ができていますか?下半身の土台を立てる事ができたら鼠蹊部に頭が乗っかるような感じで構え、仙骨、背骨、後継部、と背面の感覚を下から上に持ち上げてきます。
顎が前に出てしまうのは自己完結思考をしてしまう状態であり、自分の頭の世界に酔っている傾向があります。蹲踞で3分間手を着かなかったとしても顎が出ていたら蹲踞はできていません。顎をキチンと引き頭頂部からお尻の穴まで真っ直ぐ一本竹が立つような感覚を意識しましょう。
チェックポイントは三つ
◎顎がでしゃばっていないか?
◎下を向いていないか?
◎上を向きすぎていないか?
↓キチンと眉間から顎を引いている型◎
↓顎がでしゃばり頭の世界に酔っている状態です✖︎ この状態で仙骨を丸めていると自分の見たい妄想世界を展開させてしまう可能性が高いです
↓こちらは上を向いてしまっている✖︎ 顎のでしゃばりと同様に頭の中の妄想世界に没入してしまいます
↓顎を引くというのは眉間から後ろに引く事であり下を向くことではありません✖︎
↓顎は後継部を意識し眉間から後ろに引きましょう◎
以上が閉じ蹲踞の九つのチェックポイントになります。
最後まで読んでくれたアナタへ
いかがでしたでしょうか?
チェックポイントが多く、大変だったかもしれません。
でもまずは、何も考えず、蹲踞の姿勢を3分取ってみて欲しいと思っています。
大事なことは「できた/できなかった」じゃなく、そこで感じる体感だからです。
実際に閉じ蹲踞をすると、たった3分でも足がじわじわ痛くなり、バランスを取るのも難しくなると思います。
その痛みと向き合わざるを得なくなるのですが、びっくりするほど、常日頃の痛みとの向き合い方が現れます。
私も始めは1分ともたなかったです(笑)
初めて挑戦するときは皆そんな感じです。
二本の足で身体を支えているだけなのに、こんなに痛かったのか・・・と。
蹲踞中は、じわじわくる痛みに、「痛い、怖い」「自分の身体すら支えられないのか?」「逃げたい、早く終わらないかな」「何のこれしき耐えてやる!」色んなことが頭をよぎるはずです。
しかし、蹲踞後は、足が痛くキツかった反面、お風呂に入った後のように頭はスッキリ、清らかで静寂な状態を体感できる。まさに、それが下腹重心を体感している状態です。
その清まった状態で神事や儀式にのぞむ。そのために古くから礼法として求められた姿勢が「蹲踞」でもありました。
そして、古き良き時代、日本人はそれが日常の一部として根付いていました。
(引用元:魚を準備する日本人男性/撮影者:鈴木真一/所蔵:メトロポリタン美術館)
(引用元:日下部金兵衛アルバム/撮影者:未詳/所蔵:長崎大学附属図書館(中央図書館))
「デトックスだー」とかいって、
プチ断食するでもなく、
滝行するでもなく、
荒行に挑戦するでもなく、
旅行にいくでもなく、
非日常の中に身を置かなくとも、清々しく美しい日常生活を営んでいる。
重心を下げ、痛みを感じ、他者が痛みを感じていることすらも感じるからこそ、互いの尊重がある。
だからこそ互いの持ち場を信頼し、役割に徹することができる。
本来そういった人間関係の中で、人と接するということが一番のデトックスになっていたはずなのです。
私たちが普段「穢れがたまっている・・・」なんて思うのは、そんな生き方から遠ざかり過ぎたときかもしれません。
それを身体で想い出せるのも、蹲踞の一つの魅力だと思います。
失われた身体文化「蹲踞」。
アナタの中で眠っているそのDNA。
触覚の知性を取り戻すときは今です。
デジタル全盛期の令和だからこそ、日本人なら体を肚から整え、健やかで康らかな健康をデジタルデバイスの発展と共に保持していくこの”蹲踞道”を志していってほしいです。